no title

さて、2017年の4月らしい。2015年の4月3日、つまりは2年ほど前に更新された自分の文章、というか文章にすらなっていない謎の記録であるところの「サクラサク、サクラチル」という言葉の断片と桜の写真を眺めながら何だっけ桜が咲いたのはそのとき確かに咲いてはいたのを覚えているけれどサクラチルというのは何が例えられているのだろうかと記憶もとうとうあやふやになってしまった。2年の月日というのは長いのだろうか、短いのだろうか。今の自分にとっては1年というのはあっという間で「ああ」と迷い「ええと」とか考えこんでいるうちに1年が過ぎてしまうようになってしまった。歳を重ねれば重ねるほど一年が短くなり一日が短くなるなどと書かれた文章を何度も読んだことがあるが、これほどまでに短くなるとは思ってはいなかったような気がする。放っておいても、放っておくと時間は勝手に進んでいく。

続いて「前の日」をクリックしてみる。2014年3月16日。1年開いて今から3年前だ。3年前。2014年。何があっただろう。人間の記憶というのは本当に心許ないものでちっとも思い出せないのだけれどそれを知っているからちゃんと記録を残していてそれを眺めていると色々なことが思い出される。ことにふれて書きつけられたメモの断片は過去の自分から未来の自分への啓示のようなものだろうか。過去の自分は神様のような超越的な存在ではないけれど、いくつかファイルを開いてみると何やら自分を助けてくれそうな言葉が書かれている。その言葉の多くは年長者に向けて「××というときはどうすればよいでしょうか?」という質問に対する答えで、その答えは自身が一人でない知恵を絞っただけでは到底たどり着きそうにないヒントが隠されている。人間というのは概ね同じような失敗を繰り返す生き物らしい。そう言葉にしたところでどうなるわけでもないが、ほっとしないというわけでもない。明日もなんとかやれそうな気がするだけでも少し救われる。

一番前に書いた日記ってなんだっけ、と「記事一覧」で調べてみたら2006年の3月25日だった。11年も経ったらしい。長かったのか短かったのかはよく分からない。11年後の自分、ちっとも想像できないな。