スカイハイ / 高橋ツトム
- 作者: 高橋ツトム
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2003/12/18
- メディア: コミック
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殺された後に殺された人間が選べる選択が三つある。
1.死を受け入れて天国に 旅立ち再生の準備をする
2.死を受け入れずに霊となって現世を彷徨う
3. 現世の人間を一人 呪い殺し、地獄へ行く
さあ、あなたはどれを選びますか?
それが『スカイハイ』の主人公が問いかける問いだ。
一人一人の人生があって、一人一人のストーリーがある。
そのストーリーを強制終了させるのが殺人だ。
自分を殺したものを、不条理な殺人を行うものを果たして赦せるだろうか。
作者はこの前の章で「祈り」を書き、今度は「つまらない殺人を行うもの」への「怒り」からこの漫画(新章)を書き始めたらしい。
「不条理な殺人」への「怒り」
具体的な例としては、山口県光市・母子殺害事件がその一例ではなかろうか?
テレビで悲痛に訴える男性の姿を僕ははっきり覚えている。
「少年を刑務所から今すぐ出してください。私がこの手で殺します」
こんなことを言っていた気がする。
何年前の出来事だろう。
彼の「怒り」は「悲しみ」はテレビというメディアの媒介を感じさせなかった。
僕の心にその言葉はいつものテレビの言葉より「リアル」に訴えかけた。
でも
もしかしたら、本当は彼は祈っていたのではないか。
テレビに出るまで一人で祈っていたのではないか。
しかし
「祈り」がやがて「怒り」に変わったのではないか。
届かない祈り。
叶わない想い。
いつの間にか、「祈り」が「怒り」に変わる。
いや、「祈り」と「怒り」は本当は同じものなのだ。
程度の問題だ。
彼は「祈」って「怒」っていたのだ。
どうしようもないことだったのだろう。
月日が経ち、先日この男性がテレビに出ていた。
未だに法廷で「祈って」(怒って)いた。
僕は思う。
この男性は救われない。
加害者少年に極刑が下されたところで、彼は救われない。
裁判なんて本当は関係ないはずだ。
でも、きっとそれくらいしか彼には出来ない。
精一杯出来ることが加害者に「死んで」もらうこと。
加害者に反省してもらうこと(どうやら加害者の少年は全く反省していないらしいが)。
こんな酷いことがあるだろうか?
僕は祈る。
このようなことが起こらないようにと「祈る」。
僕は怒る。
このようなことが起こらないようにと「怒る」。
僕にはどうやらこれくらいしか出来そうにない。
法は彼を助けられないのだから。
人を助けられるのは、人だけだ。