たくさんのものがすぎさる。
毎日いろいろと考えている。
自分以外の人たちは一体なにを考えて生きているのだろう。
高校生のとき、いつもそんなことを考えていた気がする。
駅のホームの白線の内側に一人立って、「あと一歩踏み出したら」ということを想像しては大きなため息をついて家路についた。
あと一歩というところまできたときのあの不安感が前に踏み出すことを妨げていたのかもしれない。
失うものはほとんど無い。失うことが恐くて手に入れることを拒絶してきたのだから。
走り出すことに少し躊躇しているようだ。足を休めたときにに恐ろしいほどの不安が襲うから。
もっとうまく生きるつもりだった。
「ねえ、ねじまき鳥さん、私は汚されているとかそういう風には感じないわよ。私はただなんとかそのぐしゃぐしゃに近づきたかっただけなの。私は自分の中にあるそのぐしゃぐしゃをうまくおびきだしてひきずりだして潰してしまいたかったの。そしてそれをおびきだすためには、ほんとうにぎりぎりのことろまで行く必要があるのよ。そうしないことには、そいつをうまくひっぱりだすことができないの。おいしい餌を与えなくちゃならないの」、彼女はそう言ってゆっくりと首を振った。「私は汚されてはいないと思う。でも救われてもいない。今のところ誰にも私を救うことはできない。ねえねじまき鳥さん、私には世界がみんな空っぽに見えるの。私のまわりにある何もかもがインチキみたいに見えるの。インチキじゃないのは私の中にあるそのぐしゃぐしゃだけなの」