ことばのちからとまほうのこづち。

どうやら過剰なコミュニケーションというのは苦手なようで、少し心が疲れてしまっていて、でも何を言ってもしょうがないから、大学へ行って月曜日の資料をつくっていた。

研究室で一人黙々と作業をしていて思ったのは、やはり一人で集中して研究(勉強)しているときが幸せだなあ、ということ。気の合う人とも特に理由もなくふらふらと出会うのがいい。「今から食事しない?」という風に唐突に電話(メール)をしても、「いいよ」と返事が来るような関係が素敵だ。何気ないことから受ける感動を言葉もなくただ共感しあえるといいな、と思う。大好きな人に「好きだよ」っていつもは言わなくて、たまに「好きだよ」って言ったら「分かってるよ」って言われちゃうような関係がいい。そんなことを思った。どうしても言葉というのは、コミュニケーションというのは、悪意がなくても相手を傷つける行為なのだ。好きな人に「好き」だということが言い出せないのは、本当にその人のことが好きなときによくあることだ。これは、相手のことを思っていて素敵だな、と思うけど、成就されない恋というのはやはり切ない。

ところでどうやら大学は五月だというのに祭りをやっていて、僕はパーティー大好きなのだけど、大抵乗り遅れるわけで(それは、誰も誘ってくれないからという気もするが苦笑)、なんだか切ない気持ちになった。まあ、やることやらねばならぬので、行けなかったのは仕方のないことだけど。

しかしながら、そんな僕は小さなことでも勝手にパーティー化しちゃうわけで、大学の帰りに渋谷で電車を降り、HMVに出かけ、音楽を聴き、本や雑誌を読む。そんな些細なことでも僕にとってはパーティーなのだ。ABCでカワイイTシャツをみつけて(是非とも画像を見せたいのだけど、見つからない!)「これをオソロいで着てるカップルとか素敵だなあ」と妄想パーティーを繰り広げていた。お揃いのTシャツとか着て中目黒とかデートしたいなー。 <- バカップル。

そうこうしている内に日曜日も終わってしまうわけで、そういえば全く文脈に適わないけど、相変わらず本谷有希子が僕の中で大ブームで、トップランナー何回も見るわけで、彼女の文章を読めば読むほどいいなあ、と思うのだけど、どうやら僕は彼女の書く文章に恋をしているのだなあ、と思った。何気ない会話だったり、文章な中のちょっとした表現に見えるその人の本質のようで本当に本質なのかどうかはよくわからない「何か」に魅力を感じることがよくあって(その人が書く文章が好きだからいつも読んでいるブログというのは結構ある)、そうした文章を読むと僕はその人に恋をしてしまうわけで、ナルほどゲーテが女性に大変もてたというのも頷けることだなあ、と思う。素敵なラブレターを書いたら伝わるのだ、想いは。たぶんコミュニケーションも同じだ。その「何か」を伝えたい、と本気で思うことが大切なのだと思う。ただ、「伝えたい」という気持ちだけだと、それはストーカーと同じで、「本当は伝わらない」ってことをしっかりと受け止めた上で伝えようとすることが大事なのだろう。過剰なコミュニケーションは相手を傷つけることになるということはそういうことで傷ついたことのある人にしか分からないようだ。難しいところである。

ということで、今日は目標を達成した(月曜までの資料をなんとかつくった!)から大人しく音楽でも聴いて眠くなったら眠ってしまおうと思うわけだけど、最近映画が見れないのが少し残念だ。映画について書かれているブログを読むたびに「面白そう!見たい!!」と思うので見たい映画は増える一方なのだけど、勝負どころだから我慢するのである。とゆーか、フジはいつまでに予約すべきなのだろうか。パーティーしたいな。