捨ててしまえば軽くなる。
街を歩いていると行き交う人々の笑い声が耳に吸い込まれてゆき、街を照らすカラフルなネオンの光があちこちからから目の中に入ってきて、地面に座ってアイスを食べている男の子の食べるゲレープアイスのにおいが少し距離のある自分の鼻元まで伝わってくる。この世界の見えは五感をフルに使ってつくり上げられていて、でも、なんでこんなにも触れられない感があるのだろうなあと思い見上げていると首が痛くなるくらい高いビルを「いててっ」とかつぶやきながら見上げてそっと触れてみたのだけれど冷たくもないし温かくもない。夕食を食べた店の店員さんからおつりを受け取るときに触れた手はとても冷たかった。体温の感じられる温かい手がすきだ。そんなことを思った。
昨日は久々に父親と池袋で夕食を食べた。何とか豚という鹿児島の豚のしゃぶしゃぶのコースを二人で食しながら酒を飲み(二人とも飲めないのに)、色々語らった。そしてこんな言葉を交わす。
「××、お前は結局何を研究しとんのや?」
「うーん・・」
「脳科学か?」
「ある意味では」
「名前はないんか?」
「複雑系科学」
「なんやそれ?」
「なんなんだろうね。よくわかんない。カオスとか」
「社会の役に立つんか?」
「いずれ、立つかもね」
「実験とかするんか?」
「実験はしない。コンピュータ・シミュレーションだから。まあ、するかもしんないけど」
「なんや、ものはつくらんのか」
「うーん。アルゴリズムというか、たとえばロボットの中身の動作を考えたりはするかなあ」
「形として残らんやんけ」
「振る舞いとして残る」
「いやな世界やなあ」
「たのしいよ」
「本当に勉強しなくて良かったわ、お父さん」
「受験勉強よりは面白いと思うんだけどな」
「わしはものをつくるほうがすきじゃ」
「だって、つくれないんだもん。頭使って理論考えるのが楽しいし、それしか出来ない」
「でも、お前工学士やろが」
「名ばかりのね。いや、プログラム書いたりしてもの動かすのも工学だよ」
「そうか。しかし、いやらしい世界やな」
「いやらしくないって。素直だよ」
「だって、そんなの生きていくうえで関係ないやろ?現実的じゃないだろ?」
「本来の現実が逆転してるんだよ」
「なるほどな」
「本当は生命現象とか人間の振る舞いとかそういうのを考えるのが学問で、それは元々はフィロソフィー、つまりは知を愛するところから始まっていて、それが本来人々の現実であったはずなんだけど、いつの間にか人がそういうこと考えなくなってしまったわけでしょ?」
「確かに、考えない人間は多いな」
「多いね。だって、世の中分かってないことだらけだよ、少し考えたら分かるけど。例えば、簡単に発生しているかのような生命だって、人工的にはつくれないんだから。組織・組成は分かってるのにね」
「そうなんか」
「うん。その分からなさが面白いんだけどね」
「分かってしまうとつまらんもんな」
「完全に分かるってことはないけどね。解り方ってものがあるから。例えば、『〜とは何か』って問いはどんな答え方でも出来るんだよ。例えば『生命とは何か』って問いがあったとしたら『生命とは××という組織で出来ている』という言い方はある意味では答えなんだけど、それで満足できない人もいるし、満足できる人もいる。でもこういのってさ、人と人が解りあえないこととも同じ構造をしていて、でもそういう人と人の解りあえなさみたいなものは誰だって感じることでしょ?別に生命現象について考えることというか理論を考えることが特別高尚なわけじゃないよ。オレはそういうあらゆる現象から見出される一般的なものが知りたいの。それはものすごく抽象的で哲学的な問題の解決になるかもしれないし、もしかしたらものすごく身近なことの解決につながるかもしれないよね」
「なるほどなあ。いやらしい世界やなあ」
「だから、素直なんだってば(笑)」
そうして夜が更けたのだけれど、大変おいしかった豚しゃぶ。一人五千円くらいで結構おいしかったから、また来たいねーと話していた。
日付変わって今日は街に繰り出そうと朝早く起きたのだけれど思いのほか体調が悪く挫折。家でうううと唸りながら読書。頭がはたらかん。。が、夜に自転車で池袋へ。色々と本を物色するのだけれど、なんといっても『spoon.』の市川実日子が大変かわいいのだけれど、『装苑』では変な眼鏡をかけていてかわいくなかった。「めがね」は見ようかどうか悩み中。先に「かもめ食堂」と「バーバー吉野」見なければだものな。
しばらく音楽と映画から距離を置いてどっぷり研究・勉強に浸かりたいのだけれど如何せん精神面の不安定さが激しいから無理できないのが残念。困ったなあ、治らない。二週間ごとに元気と病気を繰り返しているのだけれどここ一年くらい。よくないしキツイ。本気で治しにかからないとまずいな。
今週は気合入れてがんばる。まずは生活リズムを戻そう。