トーク・トゥ・ハー / ペドロ・アルモドバル


交通事故に遭い、以来昏睡状態に陥ったまま、一度も目覚めないアリシアレオノール・ワトリング)。看護士のベニグノ(ハビエル・カマラ)は4年間彼女を世話し続け、相手に向かって毎日語り続けていた。
一方、女闘牛士のリディア(ロサリオ・フローレス)もまた、事故で昏睡状態に陥っている。彼女の恋人マルコ(ダリオ・グランディネッティ)は悲嘆にくれるばかりだったが、ベニグノと顔を合わすうち、いつしか語り合い友情を深めていくのだったが・・・。

(ネタばれします)

久々のペドロ・アルモドバル。高校生のときに「オール・アバウト・マイ・マザー」を見て以来だと思う。長いこと「オープンユアアイズ」が彼の作品だと思っていたのだけれど、勘違いだったらしい。何はともあれ、「オールアバウト〜」は全くもって理解できなかった記憶があるのだけれど、そもそも彼の作品は子供が分かるものではないのだろうなと当時思っていたのだけれど、「トーク・トゥ・ハー」を見てやっぱりなと思った。

主な登場人物は四人。昏睡状態のアリシア、彼女を介護する看護師のベニグノ、同じく昏睡状態の女闘牛士のリディア、そしてその彼女の恋人のマルコ。

物語は劇場から始まる。劇を見入る二人の男。一人はベニグノ、もう一人はマルコだ。劇の素晴らしさに涙を流すマルコが印象的だったベニグノは病院に戻り昏睡状態のアリシアにそのことを語りかける。そんなある日、マルコの恋人のリディアは闘牛に襲われ、昏睡状態になりベニグノのいる病院に入院することになる。そこで、ベニグノとマルコは知り合い、そして友人の仲になる。しばらくして、介護するマルコのもとに、リディアの元恋人が現れ、自分が彼女にとって必要ではなかったことを知らされ、旅にでる。旅に出て時が過ぎ、新聞でリディアの死を知り、病院に電話をかけると、ベニグノがいなくなっていることが分かる。ベニグノは昏睡状態のアリシアを妊娠させたという罪で病院を離れ、施設に入れられてしまったのだ。彼がそんなことをするとは思えないマルコはベニグノに会いに行くと、ベニグノはただアリシアに会いたいと告げるので何とかアリシアのことを調べると、アリシアの意識が戻ったということが分かる。しかし、そのことをベニグノに伝えてはいけないと言われ黙ったままでいたある日、ベニグノは大量の薬を飲み自殺をしてしまう。友の死に打ちひしがれるマルコは、劇場で元気になったアリシアと会う。二人は少ない会話を交わし、再びバレエを見始めるのだが、ステージでバレエが続けられる中、マルコは彼女が座っている席を振り返る。

色々な人の感想を見てみると、ベニグノがストーカーみたいで気持ちが悪いという意見を書いている人がいるけれど、確かにこの作品は気持ちよくはない。それは何故かというと、愛がどうだと言っているにも関わらず、この作品は一方的なコミュニケーションの様子が描かれているからだろう。ここで描かれているのはまさにTalk to herで、Talk with herではないのだ。本来恋愛において前提とされている相互のコミュニケーションの成立がここでは全くもって壊される。*1しかしここで最も面白いのはベニグノが気持ちが悪いという感想が出てくることで、アリシアに話しかけ続けるベニグノの態度よりリディアに話しかけようとしないマルコの方が一般的な愛の形なのだということが暴露されてしまうことだ。つまりは、一般的には本当の愛は献身的な愛ではなく都合のいい愛だと認識されているということだ。恋愛が共依存的であることは誰もが知っていることであるかもしれないが、まさにそのことが本来の脆い関係を支えており片方がゲームをやめることは時に難しい。これは、ポトラッチと言われる儀式に似ている。互いが相手に上回るものを与えることで、お互いが自滅してしまうというものだ。そう考えると、そもそものコミュニケーションを介在する人間の間の関係は非対称でかつ非同時的であることが常に潜在しており、対称かつ同時的であることは不安定平衡点におかれていることとなんら変わりがないということだ。したがって、本来の愛というのがその平衡点からずれる力によってもたらされた状態であると考えるならばベニグノの愛こそ真の愛であり、本来の愛を平衡点にとどまることだと考えるのならばマルコの愛こそ真の愛なのである。しかしながら、これらのことから我々が学ばなければいけないことは、このままではこのどちらの愛も最終的には自滅するということである。しかし、その自滅は仕方のないことなのだろうか?もしもハッピーエンドで終わるシナリオが欲しいのであれば、それを与えることは可能だ。それは、そもそもの不安定な平衡点という発想を捨てることである。共依存的という恋愛の前提を疑い、「自己」と「他者」の脱構築を行った末に堅牢な安定点に落ち着くことを目指せばよいのである。映画のラスト、マルコは一つ席をはさんで座るアリシアの方を振り向き、彼女は彼の視線に対して微笑む。二人の間にあるのはひとつの空席。二人の関係は脱構築を始めたのだろうか?それは、この瞬間に二人の間に本来置かれるべき観察者である我々に託されたのである。

*1:ただし、この前提は勿論幻想で、コミュニケーションは"まるで"成り立っているかのように見えるだけである