目的の遍歴

何かを好きになることや誰かを好きになることをときどき躊躇うのは、それが失われたとき、それを好きではなくなるときの喪失感に起因しているのは前から分かっていたのだけれど、他にも要因はあるような気がしていて、そのことについて帰り道自転車に乗っていてはたと思いついたのだけれど晩御飯を食べてお風呂に入ったら忘れてしまった。忘れてしまったものは一体どこにいくのだろう。本当はどこにもいっていないはずなのだけれど。

今日は今日とてお昼過ぎに大学に行きゼミ。後輩の男の子の発表で是非とも全部聴来たかったのだけれど遅れてしまいあまり聴けなかった。疲れたなー、疲れてるなー、終わらないなー課題、とか思いつつ鬱々した気分で昼食を食べた後に研究室で黙々とこなそうと試みるが、全然進まず。困ったなあ、困ったなあ、と大変困っていたのだけれど、本当に困った。11時くらいまでやっていたのだけれど、終わらず。明らかに集中力ないよね、頭疲れてるもん、ということでこれは久々に諦めたほうがよいのだろうか。相変わらず諦めるタイミングとか分からない、あらゆる物事に関して。TRICKの上田教授が「どうしてベストを尽くさないんだ」と言ってたような気がするのだけれど、その答えは簡単で、「ベスト」などというものは存在しないからだ。常に人はベターを目指すことしか出来ない。こんな屁理屈はいくらでも思いつくのだけれど、屁理屈ばかり言っていては何も進まなくて、事実全然進まなかった。無念。仕方がないので帰り道は研究に関する論文読み。こちらも相変わらず大きなテーマばかり扱ってしまっていて大変なことになっている。refferする論文が錚々たる面々でいかにも自分が好きそうな論文になりそうだなあと思うのだけれど、自分が書くのだから当たり前だ。

家に帰ってラーメンを食べてお風呂に入ると上にも書いたようにあらゆることをすべて忘れてしまったのだけれど、テレビをつけたら高校生の男の子や女の子がバンドを組んでわーわーやっていて全然歌がうまくなかったのだけれど、バンドをやるというのはきっと楽しいことなので是非とも頑張って欲しいなあとかオッサンみたいなことを思った。悲しきオッサンは高校生の男の子たちを見ていて、懐かしいなー高校生、とつらつら高校時代を思い出してみたのだけれど、授業サボって友人たちとつるんでラーメン屋で延々とダベったり、授業サボって映画を見に行ったり、授業サボって買い物に行ったり、授業サボってレコード屋に入り浸ったり、授業サボって音楽室の横で本読んだり、授業サボってカラオケに行ったり、授業サボってボーリングに行ったり、授業サボって麻雀やったり*1、と*2ロクでもない高校生だったなあということを思い出して、よくぞここまで更生したものだ、と感慨に浸った。ハンバーガーが65円だったのでハンバーガー一個を頼んでお菓子を持ち込んで延々と居座っていて毎回注意されたりとか、スターバックスが広島に初めて出来て*3友人たちと行こうぜ行こうぜと広島駅のスタバでモカフラペチーノ飲んだり、女の子に誘われてお祭りに行ったり、友人が好きな女の子をそのお祭りに誘ったのだけれどふられてしまいみんなで慰めたり(彼が敗退したときの姿が今でも目に浮かぶ・・)*4、なんだか今思い出しただけでも、うわー、となって、当時はなんとも思っていなかったのだけれど色々あったのだなあと懐かしくなってしまった。高校の卒業式のときなんか、なんだか退屈な三年間だったなあと思っていたのに、不思議なことに記憶というのは美化されるもので、実際にはそんなに毎日楽しかったわけでもないのだけれど、それでもあんなに好き勝手自由にやれるような日はもう来ないのかなあと思うとなんだか切ない。

と、感傷ムードになってきたのでやめるのだけれど、まあ、そうはいっても大学学部の四年間も自由気ままにやっていたのかなあと思うし、今だって基本的には好きなことをやっているわけだから、結局何も変わっていないのかもしれない。好きなことをやっていれば、うまくいかなくてもなんとか納得できるのかもしれないなあとか最近思っていて、やっぱり好きになることに躊躇っていてはいけないのかもしれないなあ、躊躇いたくないなあ、とやっぱり思ってしまうのだから人間というのは面白い。それにしても大学の四年間でやりたいことを見つけられたのは本当によかったなあと思う。なんとかうまくいくとよいのだけれど。今から他に見つけられる自信は、ないよなあ。

*1:麻雀は向いていなかったのですぐにやめた。

*2:授業全然出てないや^ ^;

*3:6、7年くらい前かなあ・・。

*4:広島には胡子講という祭が11月に、とうかさんという祭りが6月にあって、それに好きな男の子や女の子を誘うのが高校生の定番(だと思う)になっているのであります。で、ここで誰と誰が付き合っているかとかがいろんな人にバレる笑。