全ては運命かもねと言った彼女の言葉の意味を知っていたのに偶然だよと答えた。

今年に入って既に10本くらい論文を読んでいて、別に論文読んだからといって何かなるわけでは実はないのだけれど、個人的には論文を読むことは野球選手で言うところの素振りだと思っているわけで、つまりは基礎体力づくりだと思っているので、今年も相変わらず論文は読める限り読み続けようと思う。

今日は夕方ごろにふらふら大学へ行ったのだけれど、特に何も進まず、あーあ絶対読みたくもない論文の紹介の担当を引き受けたからだ怨んでやる、と思っていたらボスに会って、どうだよ、とか言うので、どうもこうもないですよ論文紹介してる場合じゃないんですけど僕、と言うと、まいいじゃんか、と軽く流されたので、おいおい、と思うも、さささと去っていったので、グチグチ言うことも出来ずに姿が見えなくなった。そもそも指導教官にグチグチ言う院生ってなんなのだろうかと思うけれども、まあ、よい。いや、もしかしたらよくない。

かわかみみえこの日記の中でもこれは本当に秀逸だという話でUさんと盛り上がった。たったほんのこれっぽっちの言葉で、言葉だけで人の心を揺さぶることが出来るってどういうことなのだろうということを帰り道に疲れた顔をしたサラリーマンと大声で話すちゃぱつの若い女の子に右を左を挟まれながら、山手線電車の中で窓の外をぼーっと眺めながら考えていた。代々木駅を過ぎたかあたりから見えるドコモタワー、新宿駅を越えた頃に見える歌舞伎町ネオン街、高田馬場駅で流れる鉄腕アトムのテーマ曲、いけぶくろーいけぶくろー。メトロポリタン口からエスカレーターにのってひょいと外に出てまっすぐ自転車置き場に向かい、いつものようにじいちゃんにお金払って、ありがとうございまーす、と適当な感じでお礼言われて。本当に伝えたいことがあったときにそれは果たして言葉で伝わるのだろうか、ということは昔からずっと考えているのだけれど、彼女の文章にこめられたあふれんばかりの思いは、なんだか自分に伝わってきているような予感がしてしまうのだ。感情の塊をおりゃと頭に投げつけられたような感じがして、思わずはっとさせられる。ほんのわずかな文字の連なりであるはずなのに。