どちらが正解か分かっていても、間違いを選ぶことはあるんだよ。

われわれは探求をやめない
そしてすべての探求を終わったとき
もとの出発点に到着し
その場所を初めて知る



『FOUR QUARTETS』 T.S.Eliot

どちらも選べない自分にやきもきしてしまう。大切なのは正解を選ぶことじゃなくて自分で選ぶことであるはずなのに。

日付的に今日が研究所見学の予定だということもあって、今日(昨日)もずっと今後のことについて考えていた。先日Eさんも話していたけれど、案外人間やろうと思えばどこでもなんとか生きていける。うちのラボに新しくきたメンバーのEricは本当にすごい生活をしてきたらしくて、それでも笑顔を絶やさないナイスガイだ。イギリスにいた頃は、街で普通に人がボコボコにされるような場所で、同じストリートに爆弾を持っている男が住んでいて、朝起きたら機動隊が家に突入してきたらしい。イギリスはひどいところだよ、と言っていた。今でも階級差別が激しいらしい。でもそれってEricがいたところが田舎だったからじゃないかなあ。日本だって、東京じゃなかったらきっと外国人とか奇異の目で見られるのだろうし、血の繋がりとかすごく大事にしそうだし。

つまりは、結局、バシッと外国行こうかな、ということ。*1特別研究員とれなかったら、外に出てみるのもいいかもな、ということを真面目に考え始めてきた。実際、自分が考えたいことを考えている研究者がフランス(に限らずだけど)にはたくさんいて、しかもそのうち気になっている研究者の一人はうちのラボのボスの知り合いだし、うちに来ている研究員さんの上司だし、すごく有名な研究者で、すごくエキサイティングな仕事が出来るんじゃないか、って思うし。*2もしくは、北欧でもいいな。これまたボスと一緒に論文書いてたりする人がいるし、面白いし、K村先生もおすすめだしね北欧。

もう一人で生きていくのだから好きにしちゃおうか、とか思い始めたのは、自分が魅力を感じる人たちは一度はレールから外れちゃってる人が多いからで、なんだか結局レールの上走っててセコイな自分は、と思ったからだろう。どうせ何選んだって間違いだし、どれ選んでも正解なんだよな。先日紹介した永井均の本を読んでいて久々に真面目に「<自分>が生きている」ということについて真剣に考えてみた。「今」があるのは過去にあらゆることがあった積み重ねの結果の帰結としてあるんじゃなくて、「今」があるから過去の積み重ねがあるのであって、だから「今」を選んでしまえば何も間違えないわけだ。「今」が無根拠に訪れる・訪れたことの神秘を感じなきゃだめで、「自分」がここにいることも無根拠だし、それを疑うことからはじめるんじゃなくて、肯定することからはじめてもいいんじゃないか、と。

裸一貫でアイデアだけをもって世界中を飛び回る。そんな研究者になりたいな。もっと色々な世界を見てもいいんじゃないか。四年後に出るつもりだったのだけれど、別にいつ出たって一緒だし。どうせ大したことない人間の大したことない人生なんだから、失敗してもいいじゃん、と。どうせ失敗するんなら、セコイ失敗はしたくないな。あー、ダメだったわ!ははは!!といきたいね。

FreeTEMPO Dreaming

これは本当にいいですね。フリーテンポ久々に聴いた。

*1:実際には、色々準備が大変でバシッとはいけないのだけれど。。

*2:今日、調べていたら、僕がこれから考えようと思っていた問題にたいして、「オレ、解決しちゃったけど、次はなにやればいいんだっけ、ははは」という論文を書いていた。そんなに簡単に解決できる問題ではない、はず、だが。ぬぬぬ。早く読みたいこの論文。