限りなく透明に近いグルー

井の頭線渋谷駅を降りたところに学習塾だか何だか知らないけれどポスターが貼ってあって、そこに(10+1=鳥)で×みたいな答案と(10+1=11)で○みたいな答案が写っていて、勿論といってはアレだけれど、クリプキを思い出した(ウィトゲンシュタインのパラドクス)。クワスプラスとブルーグルー。それにしても、永井によるとクワスプラスの議論*1は意味をなさないらしくて驚いた。調子にのって使っていたらいけないな、と反省。しかし哲学ってのはすごい。しぶとい。

今日はほとんど寝ずに某企業の研究所へ。朝起きるのは気持ちのよいことだからよいのだけれど、眠さが底知れず、しかもスーツの人々に囲まれる。そして髪がロンちゃんだから浮く(あたりまえ。ばか。)。目当ての研究所の話が聞きたかったのだけれど、やっぱり京都(けいはんな)が中心だから人おらず。研究員さんたちの生活についてのみ聞いた。結構参考になったのと同時に、自分の方が勉強してるな、と思った(入社3年目くらいの人だったけど)。ただ、博士でている人はやっぱり研究者の雰囲気を醸し出していて好感が持てた。「お金はそこそこでとにかく研究したいのなら来なさいよ」と。企業で研究することと大学で研究することは違うよ、というお決まりの台詞もなくて少しだけ企業での研究に興味をもてるようになった。まったりした雰囲気もいいなあ、と。シンクタンクみたく忙しいわけではないらしい。

とにかく少しは色々な進路を考える機会になってよかったな、と思いつつ研究所をあとに。バスに乗り三鷹に戻りそこから井の頭線に乗るために吉祥寺へ。久々に吉祥寺に来たなあ、と周辺をふらふら。雨が降っているのと寒いのであまり遠くには行きたくないな、と思ったから近くをほっつき歩く。相変わらずあの狭い道をバスが通ることは信じられない。おかしいやろ。

寒いから嫌だな、と思って井の頭線に乗りこむ。乗り込んだはいいのだけれど、途中井の頭公園を通り過ぎるとき、無性に降りたくなってさっと下車してみた。雨が降る中傘もささずにカルガモ見て、おおカルガモ、と喜んだりしていたのだけれど、いい加減寒さに耐え切れずカップルが乗ると別れる*2というボートのところを通ってUターン。

再び電車に乗り込み大学へ。行ったはいいが誰もおらず。寂しいねえ、と思いつつ読みたかった本をふらふらコピーして、これ読みながら色々プログラム書かねばなあと作戦を練る。それにしても雨の日に研究室で寂しいねえ、と思っていたらEricの机の上にテクノのイベントのチラシが無数発見。Orbかあ、とか思いつつ先日一緒に行けなかったから今度また行こうぜと約束したので、どれか行こう一緒に。テクノテクノしたのばっかだったな、しかし。Tokyoを楽しんでいるようなのは嬉しい限りだ。その後、結局博士取るのってどんなの書けばいいのだろうと思い先輩たちのを見てみる。あー、○○さんはこれだよねー、とか××さんはこの延長だ今、とか。リファランスを見るとほとんど読んだことがある論文ばかりだったから、知識ばかり詰め込んでも仕方がないのかもな、と思った。と同時に、今修士論文でやろうと思っていることについても考えてみたのだけれど、これは研究としては前例をみないであろうものだから、やっぱり書きたいな、と願望希望。N先生ミーツうちのボスみたいな感じになるとよいのだけれどと思う。そして4月あたりにN先生とうちのボスの対談でもコマバで開いてみようかと相談をしているのだけれど実現するといいな。大物対決だし、是非とも盛大にやりたいところ。chenさんも見たいって言ってたし、ホスト役買ってみようかな。でも盛大にやるとうちの研究室のまわりの変人たちが集まってくるから注意しないと。分けわかんないくらい難しい話し始めるからなあ、あの人たち。困ったものだ。それにしてもchenさんの活動が著しい。すげえ。CCりじ。あーと活動。一体何者なのだろう。一緒に組もうとは言ったものの、。あの雑誌に書きたいな、論考。うむむ。一度ブレストしてみたいのだが。

家に帰ってあまりに疲れていて頭の中身が大変で、落ち着こうと思い堀江敏幸の小説を朗読。落ち着かないから、あかんこれは集中して何かせねば、と思いビデオ屋グッドウィルハンティングをゲット。見るの高校生のときから数えて6回目くらい。あのウィルが解いていた問題は難しいのだろうか。線形代数と差分方程式の問題と書いてあるけれど、隣接行列の問題ってそういう位置づけなんだなあ、と。線形代数の時間には習わなかったな。しかし懐かしいなグラフ理論

今日は父親と飯らしい。進路かあ。進路ねえ。進路・・。やれやれ。

*1:簡単に言ってしまうと、+は必ずしもずっと同じ機能を持っているわけはなくて、あるところから機能が変わってしまい、例えば10+1=11で11+1=12だけれど、12+1=1になることがあるのではないかという懐疑的な主張。ブルーグルーの話は、今まで100回はその石はブルーだと認識できただけで、101回目にはもうそれはブルーではなくてグルーになっているかもしれないという懐疑的な主張。どちらも、規則というものに関する妥当性を問うている。*間違っていたらごめんなさい。。

*2:始まりがあれば終わりはあるのだからこれはかなり高い確率であたるよね、と誰かは偉そうに語ったことがあるとかないとか