連れてって街に棲む音メロディー

父親とご飯を食べていると、「退職するかもしれない」と突然言われた。ついにうちの親父もリストラか、と思い大変凹んでしまいご飯がのどに通らない。父親がうれしそうな顔ばかりしているので、この人はどれだけ楽観的なんだ、ああそうか研究あきらめなきゃなお金稼がなきゃな、お金稼ぐの得意じゃないなあ、と考えていたらまったく会話が弾まなかった。退職金は数千万らしく、それが多いのか少ないのかわからなくて(普通どのくらいもらえるのかしらないからなのだが)、うれしそうな顔をしている父親の顔を見ながら、だからなんでアンタはそんなに楽観的なんだ、と怒りが沸々と沸いてきて「ねえ、何考えてるの?怒」と言おうと思ったけれど子供じゃないからここは抑えないと、自分がなんとかすればいいだけのことだ、と考え直しもくもくとしゃぶしゃぶを食した。研究の話を訊いてくるから、お金にならない研究なんだよ、大学の学問というのはもう瀕死なんだよ、とぶっきらぼうに答えた。

渋谷駅で父親と別れ、渋谷から井の頭線に乗ることもなく文化村の横を通って研究室に帰る。研究と家族、どちらが大切だろうか、二年前までの自分だったら間違いなく研究を取っていただろうが、もうそんな選択はしない。研究はまたやり直せばいいけれど、家族とはやり直せない。変わったなあ自分は、と思いながら真っ暗なキャンパスを歩く。ここを歩くのもあと僅かなのだろうか。友人のIさんに「いつか一緒に論文書こう!」と研究者を目指す人間としては最高の言葉をかけてもらったのにそれもかなわずなのだろうか、と暗い夜道を俯き加減で歩く。

研究室のパソコンをつけ、ネットで調べる。父親の会社のことがニュースになっている。そういえば早期退職だとか言っていた。よくよく読むと応募者が殺到しているらしい。かなりの退職金上乗せらしい。父親は高卒で会社に入っているから勤務年数がすごくながいせいでただでさえ退職金が多くもらえるらしいが、それに上乗せらしい。一般的にどれくらいもらえるのだろうか、と調べてみたら、父親が言っていた額はずいぶん多い。おい、これは退職したほうがええやん、と思い始める。なんだよ、すげー心配したじゃん、と肩をなでおろす。探しあぐねていた、父親にかけるために用意した言葉が一瞬で散り散りに放たれる。言葉は失われてしまったけれど、感情は残る。いつのまにか人らしい感情を取り戻していた。本当に苦しんだことのある人でなければ人を愛せないというのは、もしかしたら本当かもしれない、なんて思ってみたりした。


ある光