Every Friday night should be an all-night party.

しかしこのところ日記を書かないわけだけれど、なぜかということは特に理由もなく、金曜日の夜に夜風が気持ちよいのでふらっと書き出してみる。

先月末に謎の書類を書いたせいで死ぬほど疲れてしまい、最近は気がつくとぼうっとしている。先日も生協で晴れた空をぼうっと眺めていたら科哲のMさんに大丈夫ですかと声をかけられ、はたと我に返り、だだだだいじょうぶです、と大丈夫ではない返答をした。それにしてもこのところ”コマバのやつらは大体友達”計画は着々と進行しており、歩いていると声をかけられること多々ありになってきた。いやー最近どうっすか、いやなかなか、ですよねははは、みたいな不毛な会話をするだけなのだけれど、さまざまな分野の人々と話が出来るのは楽しい。

さて、特に書くことはないのだけれど、金曜日の夜だというのに研究室にいて無為な時間を過ごしているものだからもう少し最近のことを何か書いてみる。

最近の僕の流行りは海外のマイナー大学に留学することで、マイナーな大学でマイナーな研究をしたい気分でいっぱいで先輩とそうした夢について語り合っていたりなどしている。とりあえず僕は理系の研究室特有の人間関係には疲れてきているので一人でゆったりと本を読みながら死んでゆきたいのであるし、隙あらば小説書きたいしバンドやりたいし、中原マサヤで川上ミエコな気分なのである。こうして文章を書きながらヘアスタイリスティクスなど聴いていれば格好良いのかもしれないが実際にはらぶずっきゅんを聴いていたり、プログラムを書きながら社会学の面白そうな本を探しているのであるし、今日は人類学の本を借りてしまったし、関心がバラつきすぎていて生きていける気がしない。だからK先生の研究室に向かい「俺、人類学者になりたいです!」と頼み込んで弟子にしてもらおうかと思ったのだけれどあいにく先生は不在であり、僕の人生はいつまでたっても不在を中心に回りつづける。kurukuruくるる。

そうこう書いていると研究室の先輩と何やら遊び始めてしまい、二人で近代以降における恋愛の形について語ったりしたのだけれど、相変わらず意見は合わなくてふたりではははと笑った。こうして人は分かり合えないことを確認しあいながら分かり合う方向へ進むわけで、本当にこの矛盾に満ち満ちた存在をどうすればよいのだろうか。耳元からラブリーが聴こえてきた。

そう、そろそろライフがカミングアップしなければいけないのだけれど全然アップする気配がない。でも僕はアップアップで・・と書いていてどうやら今日はこういう書き方をしたい日であるらしく、美しい文章などとは無縁な金曜の夜であるようだ。土曜の夜ともいう。

研究室の机の上にはちぇるふぃっちゅの岡田さんの文章と、ウブンツの本と、”概念”に関する論文と、ハミルトニアンラグラジアンがかかれたノートと、フランスの哲学者の論文と、コンピュータのセットアップに関する文書と、ほうじ茶と、その他さまざまなものが積み重なっていて、何がしたいのか分からない。阿呆である。これは或阿呆の一生である。そんな気分でタイピングしている。耳元からある光が聴こえてきた。

そう、そろそろ線路を降りる時間で、だから僕はルサンチマンを捨て去るために自然科学の分野から去らなければいけなくて、昨日FA宣言したのだった。あとはどこかの球団(研究室・研究科)が声をかけてくれるのを待つだけなのだけれど、僕はアーバンブルーズはおろか学問の分野において特に何も貢献していないので自分で自分を慰めるほかない。耳元からぼくらが旅に出る理由が聴こえてきた。

落ち込むことはない、僕が旅に出る理由は必ずあるのだ。それはいくつもあるかもしれないし、重要な理由からつまらない理由までたくさんあるかもしれないけれど、旅に出てしまえばそんなものは同じで、旅人に理由は必要ない。理由は旅人になるときに必要なだけだ。耳元から今夜はブギーバックが聴こえてきた。

ああ、ダンスフロア。ダンスフロアが待っている僕を、と毎週のように夜な夜なクラブにぱーりーにふらりふらりと遊びに行く人生があってもよいのではないか、と最近は思うし、そういえば先日unitのおされなぱーりーに行ったのだけれど、あまり楽しいぱーりーではなくて、というか不完全燃焼なぱーりーで、あまいあまいミルクアンドハニーな感じではなくて、モスコミュールとジンライムを飲みつづけていた。心変わりの相手は僕に決めてしまえばいいと思うような女の子に出会うこともなく、そうすると以前のVan She@ウームはかわいい女の子ばかりで、とりわけプッチのワンピースみたいなのを着ていた小さな女の子が大変かわいかったことを思い出した。クラブに派手なワンピースを着ていくと目立ってもてるだろうからこの文章を読んでいる女の子は実践したらいいのだけれど、こんなどうしようもない文章は読んでいる場合ではないと思うし、それにしてもしつこい男にからまれている女の子を見るたびに可哀想に思う。踊ってるの邪魔されると腹立つよね。僕もゲイさんに邪魔されたことあるけれど。

やっぱり日記というのはどうしようもないことを書いてしまうらしい。とにかく今の僕は踊りたくて、音楽が必要で、芸術だの哲学だのどうでもいいから音に埋もれたいのだ。もっと頽廃的に、文学的に、生きたいので或る。如何。