物語の始まりには丁度いい季節になっただろう

せっかく久しぶりに日々のことを書こうと思ったのだけれど、Firefoxが落ちて一瞬で全ての文章がどこかへ行ってしまった。まったく、消えた文章というのはどこへ行くのだろうか。遠い宇宙の果てに電気信号として残っていたりしたらなんだかロマンティックでいいなあと思うのだけれど、自然科学のトレーニングを受けてきた人間としてはそれは考え難い。いや、でも宇宙論なんて非現実的な議論が腐るほどあるのだから*1、似たようなものなのかもしれないけれど、とは思うが、実は宇宙論に関してはまったく分からないので、何も言えない。一般書すら読んだことがない。僕は宇宙にはそれほど興味がないようだ。人間や動物に比べて宇宙はちょっと僕にはスケールが大きすぎる。いつかは勉強したいけれど。

とりあえず僕の想いとは無関係に毎日は過ぎてゆき、気づいたらいろんなものごとに巻き込まれている。しばらく体調が悪くて落ち込んでいたのだけれど、友人に助けてもらったり、山に登って死にかけたにも関わらず生き延びていたりしつつも、まだなんとかいけるような気がして、今週からはもちなおしている。結局プログラムを書いたりなど仕事に追われているような仕事を追いかけているようなよく分からない状態であるわけで、一体この先どうなるのかしらねと他人事のように過ごしている。先のことを悩んでも仕方がないので、今出来ることをやることにした。

最近考えているのは、結局自分は何がやりたいのかということで、学部生の頃から研究者としてのキャリア以外考えてこなかったものだから、これがまた難しい。13歳のハローワークとか読みながら勉強をしているのは秘密だ(言っちゃった)。きっと就職活動をした人、する人はこういうことを考えるのだろうなあ、と勝手に想像しているけれど、どうなのだろう。思えば幼い頃から科学者になりたいとか考えたことはなくて、でも数学者にはなりたかったなあ、と思い出したりなんかするのだけれど、現実はなかなか厳しくて、数学者なんてそれこそ厳しいのはさすがにいい歳なので分かっているのだけれど、それでも大学院に入るまでは実感はしていなかった気がする。で、出た結論が「自分が何かをやっている」という実感を持てることがやりたいのではないかということで、それこそ研究者はそれに当てはまるのだけれど、別の職業だって当てはまるじゃん、ということで、それにしてもそれにしても職業選択というのは難しい。調べれば調べるほどいろんな職業があって、こういう機会がなかったらきっと知ることもなかっただろうから、これはこれでおもしろい。もっと学生のうちにいろんなバイトをしておけばよかった、と後悔もするけれど、大学で勉強ばかりしていたのも結構いい感じで青春だったような気もする*2。本当は二十代はほぼすべて学問に捧げようと思っていたのだけれど、まあ、別の世界を見るのもやっぱり楽しいじゃん、と案外前向きだ。それでもきっとまた戻っちゃうんだろうけれど。あるいは近くにいるか。こればっかりは一度学問の世界の魅力にとりつかれた人にしか分からないと思うけれど、なんというか、初恋のようなもので、忘れようにも忘れられないのだからどうしようもない。

そんなこんなで、ついつい自分のことで精一杯で他人のことを考えられなくなるのだけれど、なんとかしなければいけない。思えば学部生のときもあるときから学ぶことが楽しくて仕方がなくて夏休みにも実家には帰らず図書館にこもって本を読んだりしていたのだけれど、たまには実家にも帰らなきゃなあ、と思う。いろんな人が待ってくれているらしいし。大学院に入ってからいろいろな人に助けてもらったのに、また一人で走り始めている。こうやって次から次へとやりたいことやおもしろいことを見つけて熱中していたら、あっという間に人生なんて終わっちゃうんじゃないかと心配だ。まだまだやりたいことも学びたいことも山ほどあって、死んじゃうのも勿体ないなあ、と思えるのだから、きっとまだまだ大丈夫なのだと思う。だから、がんばろうね。

*1:空間の襞に物質の記憶が残されているとかいう話もあったっけ。

*2:大学のキャンパスのベンチで寝転がりながら解析力学の問題を解いたり、教室が閉まるまでUNIX端末のあるパソコン教室で勉強したり、夕日が沈むまでオシロスコープいじって実験をしたり、ファミレスでレポート書いたり、etc