no title

書きながら考える。考えながら、書く。

昨日までとても面白いと思っていたことでも次の日にはちっとも面白くない、ということはよくあって、人の心というのは相当いい加減なのだなあ、と一人考えることがよくある。


どうしてもそれじゃなきゃダメだ、と思っていたものを手に入れて、思っていたものとは全く違っていたときの失望感を思い出すと、何かを手に入れることを躊躇ってしまう。


焦りがないことに焦っているのかもしれない。あれだけ焦って本を読んだり論文を読んだりプログラムを書いたり走り回ったりしていたのに、どうにもそういう気力がない。あそこでこういう仕事をしたらこういうことが学べて、こういうキャリアを積んで、なんて感じで考えるのが楽しいときもあれば、退屈に思えてしまうこともある。もっと意外なことに出会いたいという気持ちと、そろそろゆっくりと着実に進みたいという気持ちと。時間ばかりを追いかけていたら、時間を追い抜いてしまったような気分。後ろを振り返ってばかりでも仕方がないけれど。


母親と父親からメールがきた。「自分のやりたいことをやりなさい」と書かれていて、少し戸惑う。やりたいようにやった結果がこれですごめんなさい、などと悪態をついても仕方がないと思い、ありがとう、とだけ書いて返信する。期待に応える方法が分かりません、という相談に対して返ってきた言葉は、そんなに自分に期待をしてはダメだ、ということ。きっと誰よりも自分自身が自分に期待をしているのだろう。その期待に応えられないことが苦しいのだと思う。もっとうまくやれよ、と自分に言い聞かせてはみるものの、そんなにうまくなんて出来ないのが現実で、だからといって諦めるわけにもいかず。このまま何も出来ずに終わるのではないか、ということをやっぱりどこかで不安に思っているようだ。


帰り道に立ち寄った定食屋で大学院生の人たちが研究室生活の悩みを話し合っていた。どこの組織もなかなかうまくいかないのだろうな、と彼らの話に耳をそばだてながらキスのフライを平らげた。あれだけ食べられなかった魚も食べられるようになった。うまくやっていく方法も、もしかしたら見つかるかもしれない。考えながら、動くしかないのだろう。やっぱり失敗することは、ちょっとはこわい。慣れる日が来るのだろうか。来ればよいけれど、とただただ願う日々。周りの人たちのやさしさにとても助けられている。今度は助ける番なのだけれども。