no title


ずいぶんと前に夏がきて、とうとう7時すぎには夕日が沈むようになってしまった。今年の夏はマンションの廊下から遠くに小さく見えた打ち上げ花火と、急ぐことなんて何もないのに何かを急ぐように消費していったコンビニの線香花火の残り火が記憶に残ることになった。


どうしたって自分がどこを向いているのか分からなくなることはあるわけで、久々に訪れた不安を消すために新宿の本屋へ向かい、松山巖の『ちょっと怠けるヒント』を椅子に座って読みながら、さて自分にとっての読書というのはいったいどういうものだろうか、などと怠けた頭で考えていたのだけれど、どうやらそれは自分との対話であるようで、本を読みながら自分の生活を省みてはうんうんうなっていた。うまくいかないこと、というのは長く生きていればいくらでもあるわけで、あまり気にしなければいいのだけれど、ときどき気にしすぎるきらいがあるので困る。新宿西口の蒸し暑い空気に包まれながら、歩道橋の上で、「とてーもやーりーきれーないー」などとフォーククルセダーズをひとつふたつ鼻歌で歌い上げて空を見上げてみるが、大抵視界は高すぎるビルに占拠されていて、さてこの都会では街にも空にも人にも余裕がないようだ、と心がまた少し翳ってしまった。


いつもの中華料理屋でおじさんたちに囲まれて炒飯を食べていてもまだぐるぐると考え事ばかりで、4年くらい前に働かせてもらっていた会社のあった雑居ビルのことを思い出していた。そのころはよく仕事終わりに中華料理屋に行って他愛もない話に花を咲かせていたけれど、あの会社はまだあの雑居ビルにあるのだろうか。きれいなオフィスで働くのは向いていない気がするので、雑居ビルのオフィスで、あのベランダに灰皿を置いて煙草を吸っていたときのような生活に戻ってみたい、という気もするのだけれど、かなわないのだろうか。


心が閉じたり開いたりで忙しい。ゆらゆらと視界が揺れて、言葉をさぐりさぐり。
さぐれば見つかるのだろうか、やがておとづれる秋の夜は長い。