揺れる世界
今日、バイト先の同僚と仕事が終わった後に話したのだけれども、非常に自分の考えていることと同じようなことを考えていて、随分と話し込んでしまった。
彼は、あるとき「これって何だろう?」という問いを続け、そして目の前にあるペンが何であるか分からなくなってしまったのだという。
そのせいでなにもかもが分からなくなってしまい、精神的にまいってしまったそうだ。
実は僕はそれと非常に近いことを経験していて、そのとき世界が「揺らいだ」。
当たり前のようにあった世界の存在に全くもってそれが存在しているという根拠・証拠が見当たらないことに気づき、愕然としたのだ。
それ以来、世界は全くもって当たり前の存在として僕の前に現れることはなくなった。
本当は自分がここに存在してるかなんて「当たり前」ではないのだ。
まるで僕は生きているようで、まるで僕は他人と同じように存在しているかのようだけど、それは「当たり前」ではない。
何をも確かではない。
それでも、このまるで生きているような生々しい感覚。
手をつないだときの他者の手のぬくもり。
それは肯定したいのだ。
でも、感覚は嘘をつくし、視覚は真実を映さない。
だから、その感覚やそのぬくもりを信じて、語り続けること、考え続けること、そして「祈り」続けること。
それが大事なのではないか?
そんな僕がいつも考えていることを彼に伝えながら、色々話したのだけれども、この調子で書いていると大変、大変長い文章になってしまうので、やめることにした。
ただ、世界が揺れるときのあの感覚を味わった人間に初めてあった。
僕は失われた世界の欠片を探し続けるだろう。
たとえその世界がもともとあったかどうか分からなくても。
さあ、
キミはどうするの?