その頃毎日坂道を登っていた。

自分を取り囲む他の人たちって何考えてるんだろう、って思ってばかりいたことがあった。確か一年以上そんなことばかり考える日が続いて、そもそも自分と他人の違いって何だろうって思って、それはいつしか自分の存在自体を揺るがすようになった。

まだ僕が幼かったとき、いつかここにいる人たちはみんな死んでしまうのか、と思い遣る瀬無い気持ちになって泣いたことがあった。「どうして泣いてるの?」と訊かれて、「ピーマン嫌い」って答えたことを覚えている。あれから10年以上経った今、その食卓に揃っていた6人はみな元気で、そのうち一人は今年結婚し、そのうち一人は大学へ進み、そのうち一人は大学院へ進む。

故郷に帰ると時間の流れはまるで止まっているかのように感じられヤキモキするが、東京に帰ってくればみんな早足で、それもやがてすぐ慣れていつの間にか一番早足なのが自分だということに気づく。

幼稚園に通っていた頃、こんなことがあった。毎日園児たちが集団で登園するのだけれど、その集合場所が坂道の上にあった。そのコンクリートの坂道の横には田んぼを横目で見ながら登っていく土の坂道がもう一つあった。僕と友人の久野ちゃんは毎日一緒に登園していたのだけれど、その日は田んぼの横を通る道の方を選んだ。僕たちはいつものようにバッタを追いかけ、アマガエルをつかまえた。そんなことに熱中していると、坂道の上の方から大人がやってきて、「何やってるの」と僕らを呼びに来た。そんな何気ないことなのだけど、今でもそのときのことを思いだすことがある。あのとき僕は間違いなく虫やカエルを追いかけることに夢中になっていて世界は全て僕の感覚の中に在るような恍惚の時間をこの身体で感じていた気がする。

僕は歳をとる度に様々なものを得ていくのだと思っていた。そうではなくて、歳をとるということは少しずつ色々なものを失っていくことなのだということに気づいたのは結構最近のことだ。赤ちゃんは生まれてまもなくは自分と外の世界を同一に感じているらしい。その感覚は勿論今の僕にはない。統合失調症の人というのは、「世界」と「自己」を同一に感じているらしいけど、それってすごく世界に対して真摯な態度を取っているというか、世界に対して人間本来の純粋な欲求を表しているんじゃないかなあ、と思う。「自己」と「他者」が近づきあう場所に「愛」が生まれるのなら、それこそ本当の純愛じゃないか。

「障害者」という言葉が生まれたその瞬間に「障害」が生まれ、「普通」という言葉が生まれた瞬間に「差別」が生まれ、「国」が生まれた瞬間に「戦争」が生まれる。いつまでも止まらない「差異」化に対して、人はどうすればいいのだろう。

どうしようもないことだと分かっていても、どうしようもないからって言っちゃうとどうしようもないから、そうだ、明日からももっとずっと考えよう。考えても考えても分からなくても、それでも考えてみよう。坂道を駆け足で登っていくみたいに。