まあ、なんとかなんとかかんとかカントとか。

毎日あたかも大学院生をしているのだけれど、なんといっても知り合いのあまりいない環境ではなかなか孤独でもともと僕は孤独なスイマーだとかコドクなランナーだとかそういう喩えで表現されるような人であるようなないようなな感じの人間であるから今日は図書館で勉強をしていた。

図書館というのは本来静かな場所であるはずで、実際非常に静かな場所で、「うちっぱなし」の壁は大変オシャレで素敵だなあ、とか思うけど、なんというか慣れない環境だからだろうか、毎日大変不安だ。集中できない、勉強に。環境が整わないとダメだ。不安でしかたない。。あのコンクリートの建物ばかりの工場のようなキャンパスがちょっと愛おしい。

で。勉強会のようなものも僕はやるならさっとやってしまって他のことをやりたいのだけど、当然の事ながら人が集まればものごとはそれだけなかなか決まらない。進まない。個々人の力にバラつきがあると足並みが揃わないから難しい。

挙句の果てには雨が降り始め、ああ、雨じゃん雨ジャンとか思いながら傘をさして「雨に唄えば」を頭の中で歌いながら家路につくのだけど、毎日大学へ行くときに渋谷を通っていると、ついついレコード屋に行きたくなる。そして映画館へ行きたくなる。が、疲れててダメみたい。ふう。

なんだかなにか満たされないときに限って音楽を聴きたくなるみたい。音楽を好きになったのはきっと自分の孤独だったり不安だったりを忘れるための自己防衛本能に基づくものなのかもしれない。ライブやフェスやクラブこそ僕の避難所なんじゃないか。同じような音楽・カルチャーが好きな人に出会うとやはり嬉しい。同じ音楽聴いて踊ってる人見てるとほっとする。僕は踊るスペースがないくらい集客されたフロアで踊るのが好きだ。「自己」が「他者」との境界を消滅させ、凝り固まった「僕」は融解し、そして「人間」になる。本来の自分を取り戻すことができる。

とにかく、これまでずっと考えてきて分かったのはこういうことだ。何も主張しなければ何も主張されたことにならない。好きな女の子に対しては好きだという態度で示すか好きだと言うことだ。当たり前すぎてだから何なのかよく分からないけど、当たり前のことに限って今まで出来てこなかったような気がする。これからは「当たり前」のこともやっていかなくてはいけない。それはどんなことに対しても。

と色々書いてみたら何か解決するかと思ったのだけど、何も解決しなかった。

研究室の修士課程の人数も専攻の修士課程の人数も少ないし、そもそもキャンパスを歩いている人の数が少ない。やはり活気がないなあ、と思う。何故か図書館や生協の周辺にばかり人がいる。そうだ、図書館にはたくさん人がいて、まあまあたくさん本があった。そういえば、本も音楽と同じ役割を果たしているのかもしれない。悲しいね。

boy-smithは悲しんだ。

あと、夜遅くまで授業がないのも不満。もっと授業やれ!じゃないと映画見に行くぞ!!( <= いや、研究せい!)

うーん。やっぱ新しい環境になるとダメなようだ。コマバにK村先生(もう知り合って3年以上かなあ・・)がいるだけでもちょっと安心できるけど。「まあ、コーヒーでも」とか言って話を聴いてくれるのはうれしい。というか、なんか今東京に来たばかりのときみたいな感じだなあ、と思う。おお、なんか挫けそうだぜ。って、またかよ(これあとでこんなこと書いて恥ずかしいなあ、って思うんだろーなー)笑

うーーむ。いかんな。というか、ほんとに情緒不安定もいいとこだな、自分。昨日あんなに元気だったのに(笑)まあ、こういうのは昔からだけど。

こりゃ、踊りに行くしかねえ!道玄坂ですか、代官山ですか、青山ですか!?先月のバイトの給料が入ってるはずだし。でも最近クラブ情報調べてないなー。ほんと、先月のFPMと2 manyのやつ行きたかった。。。でも、小さいイベントにも行ってみたいな。うーむ、調べてみようかなあ・・。

ということで、大音量で「OKコンピューター」を聴いてたらなんか元気になりました。うん、持ち直した。なんか上の文章元気ないですねえ、しかし。誰ですかこんなの書いたの(笑)もう読み返さないけど。

ということで、今日の一曲。元気が出るのがいいですねえ。なんか暗い曲はたくさんおもいつくんだけどなー。うーむ。では、The Raptureで「House of Jealous Lovers」。そういえばラプチャーのライブも逃したな。わいは困ったもんや。プロゴルファー猿や。( <= 旗つつみ!)