ずるいよ。ずるい。

二日続けて東京はすこぶる天気が良く、昨日は大学が麻疹で閉鎖されていたので、人っ子一人いないキャンパスを大股で闊歩し、ラグビー場に置かれたベンチにごろりと寝転がりながらずっと青い空を眺めていた。芝生の緑と空の青のコントラストがとても好きで、このまま何時間でも居られるなと思いながらうとうととして眠ったりなんかした。たくさん虫が飛んでいて、至るところを蚊に刺されてしまった。夏だ。

一方今日はどうにも海に行きたい気分で、丁度『散歩の達人』が江ノ島と鎌倉の特集をしているから、それを買って電車で鎌倉の方まで行って海でも眺めながら一人でふらりふらりと防波堤の上を歩いてみようかなあなんて思ったのだけれど、残念ながらあまり早い時間に目が覚めず、実現しなかった。せっかく一人で『あの夏、一番静かな海』ごっこをしようと思っていたのに残念だ。江ノ電というのを一度でいいから見てみたい、そんなことも長いこと思っている。

さて、どうして今日早く起きれなかったのかということを考えてみると、それはなんてことない理由で、昨晩から山崎ナオコーラの『浮世でランチ』を読み始めたら面白すぎて眠れなかったからだ。

以前『人のセックスを笑うな』を読んで以来なんとなく気になっていた作家の一人だったのだけれど、この本は面白くなくはないんだけどいまひとつしっくりこなかったという経験があって、『浮世でランチ』も読もうか読むまいかと随分悩んでいた。立ち読みで何度も中身を確認して、結局表紙の写真が好きで買った。物語冒頭の海の話が好きで何度も何度も同じ箇所を繰り返し読んではビルとビルの間から見える海というものを想像した。

ここ数日は調子よく起きて調子よく眠っていたのだけれど昨晩こうした理由で夜更かしをしてしまったせいで起きたとき少し気持ちが悪くて、胃薬を飲もうかと思ったけれど薬というのに飽き飽きしているので飲むのをやめてお昼ご飯を買いに出かけた。

相変わらず近所の公園では子供たちがきゃーきゃー騒いでおり、なんと幸せな光景だろうかと少し羨んだ。太陽が眩しくて、石ころ蹴りながら歩いていたら、なんだか幸せな気持ちになった。

お昼ごはんを食べて家で本を読んでいたのだけれど、なんだかこんなにもいい天気で勿体無いなと思い自転車で池袋へ出かけた。久々にビックリガードをぬけて南池袋に行き、ジュンク堂へ寄った。

相変わらず本屋に長居するのは大変好きで、一番上の階で映画の本とか演劇の本とか写真集とか見たあとに理工書をチェックして、人文・哲学の階の棚を全部眺めたあとに新書と文庫本で何か新しいのが出ていないかどうか調べた。あまり面白そうな本が出ていない。

その後、ジュンク堂の裏にあるカフェでコーヒーでも飲みながら本を読もうかと思ったが、やめにして、ディスクユニオンに行き色々探した。最近クラムボンが大変好きで是非ともアルバム欲しいのだけれど欲しいやつがない。中古で買いたいのだけれど、アマゾンの中古のやつを買おうか。悩ましい。

どうしてコーヒー飲まなかったかというとそれは映画を見に行く予定だったからで、早稲田松竹で『ユメ十夜』を見た。十人の監督がそれぞれ好き勝手撮っていて面白かった。中でも清水崇のやつがすごく良かった。松尾スズキもふざけてて好きだった。阿部サダヲいいなあ、とか、市川実日子香椎由宇かわいいなあ、とかそんなことばかり考えていた。松山ケンイチの顔は大変好みなのだけれど、如何せん体格がいいのが残念だ。あの顔ですらりとしていたらもっと恰好良いだろうに。

早稲田松竹に行ったのでその後は恒例のミニすた丼を食べる。うまい。相変わらず学生が多い。

元気だったので、たまには小さいほうのブックオフにも行ってみようと思い、高田馬場戸山口出てすぐのところにある小さいほうのブックオフへ。ふらりふらりと本を眺めていると三人組の女の子が入ってきて本の話をし始めるので、どんな本を読んでいるのだろうかと聴いていると、宮沢賢治がどうとかガルシア=マルケスがどうとか江國香織がどうとか大きな声で喋っていた。あまり僕の読む本とは違うし、きっと気が合わないだろうなと思いつつ、マルグリット・デュラスの『愛』を手に取ったがやめて最近出たばかりのベネディクト・アンダーソンの新書を買った。グローバリゼーションについて久々に考えてみよう。

やはり都内を自転車で走るのは気持ちが良い。南池袋、雑司が谷のあたりから新目白通りに至るまでのあの坂道が大好きで、都電荒川線を横目にびゅーんと風切りながら走っていると、いやなこととか辛いこととかなんだかどうでもいいような気がして、だって空青いし、鳥飛んでるし、電車とか走ってるし、とか思って元気になった。どうでもいいこととかきっと重要なんだ。

帰り道にサミットで買いだめをした。日曜はポイント五倍だもんね。自分で料理つくれるようになりたいな。