We reach there and hug each other.

考えてみればものごとは思うようには進まなくて、悩んでは進み、悩んでは戻り、そんな風にして一日一日が過ぎてゆくから、気づけばよく分からない場所に着いており、ここでいいのかここではいけないのかという自問自答を繰り返して、そしてまた歩き始める。中学、高校、大学は進むことを当たり前だと思い、進めば何かあるという期待ばかりして結局何も得られなかった気がするのだけれど、進めば何か見つかるというのは間違いで、進んだからといって自分で動かないと何も得られなくて全て通りすがるだけだということが正しくて、どうにもそれはいくつになってもそうらしくて、近頃ひしひしと感じており、最近は「何かしよう」が「これをしよう」や「あれをしよう」に変わってきていて、そうして「何か」のときには出来なかった具体的な身体の動きをしているというか、つまりは単に踊ってるだけというのを止めて具体的な文脈に沿って踊ることが出来ているということで、それはもしかしたら楽譜を見ながらピアノを弾くことと似ているのかもしれなくて、そもそも何か拠り所がないと随分苦しいのだなあということをここ数日はっきりと思う。でも、拠り所というのは見つけるのが大変難しくて、ああなんだか苦しい作業だったなあと今は感慨深いけれども、当時の自分は相当に酷かったに違いないし、いまでも結構酷いのはどういうことなのだろう。なんとかもっと前にすすみたいな。

今日も相変わらず暑苦しい日で、昼ごろに家を出てサブウェイでシーザードッグを食らい大学に出かけてみて研究室で明日の合宿の資料を作っていたのだけれど、どうしても見なければならない映画があって(明日の発表に関わる)それを見ていたら普通に良い映画でうひゃあと喜んでいたら眠たくなってきたのでさっさと帰宅した。

今から明日の資料の作りこみとボスが「コレ読んでこい」と今日与えたもうた論文を読まなければならなくて本当に眠たくて勘弁して欲しいのだけれどこの論文が滅茶苦茶面白くて、相変わらず面白い論文を持ってくるなああと感心しながら電車の中でにやにやしていたのだけれどまさか周りの気持悪がっている(であろう)人たちは科学哲学ちーくな論文を読んでいるとは夢にも思うまいとさらににやにやしていて、はたと客観的に考えるとただの変態だなあ自分、と思いふと顔を上げると若い女の子が訝しげにこちらを見つめていたのでこりゃあ変態だと思われたな残念と思うわけだけれど変態なのは今に始まったわけではないのだよ、ということで説明せねばと思ったけれども説明してしまうと本当の変態として検挙されてしまう可能性があるので黙っていた。そこのきみ、誤解だよ。変態だけど危害はくわえないよ。

ということで、明日から千葉。今年の夏は遠征が多いな。来年は国際会議にでも出かけよう。ボスに言っておかないとな。

そういえば、今日はじめてK村先生とヤブ用でチャットなるものをやったのだけれど、面白かった。こっちに音声と映像をなんか出来る装置がなかったので相手側の映像だけ見えて一方通行だったのだけれど、何はともあれ最近はこんなことが出来る世の中なのね。こりゃ便利だ。カメラとマイクはなんかしらないけれど買ってくれるかもしれないらしい。やったぜ。

明日の準備をせねばいけないわけで、さて、大変だ。なんだか忙しいと生きている気がするのね。がんばらねば。