そんなことないの分かってるよ。

秋になると夜が長いとかいうけれど冬はもっと夜が長くて、まだ世界が暗かったころは人々は一体どうしていたのだろうなあとか考えてみて、夜が来るたびにわーっとなっていたのだろうかと考えるときっとそうはなっていなかったのではないかなあ、と思って、それはきっと仲間たちと肌寄せ合ってか肩寄せあってかよく分からないけれどその誰かのそばには誰かがいたわけで、つまるところ食事というのは一人ですると美味しくないのだなあ、ということを今日珍しく神泉の駅で下車してふらふら歩きながら入った中華料理屋でサラリーマンのおじさんたちがわいわいやっているのを見ながら酢豚を食べてしみじみとおもったのだけれど、そう考えると学部の2,3年生の頃というのは食事をする人が色々いて楽しかったなあと思うわけで、でも当時はそんなこと当たり前だったからなんとも思っていなかったので本当に人は色々失わなければ学習できなくて馬鹿だなあと思うしだからといって何かを得るのをやめようという消極的な態度もやめたい、というかやめた。

ここ数日は何気に色々あって、とりあえず勉強には集中できていてそれは恐らく生活リズムを正したからだと思うのだけれど、まだまだ頭が本調子ではないので授業が始まる二週間後までにはなんとかしたい。と、二週間後というか正確には一週間とちょっと後なのだけれどそれはうちの研究科の話であって他の研究科の授業時間割を見たら来週あたまからということが書いてあって、さてどうなっているのだろうかと困っているのだけれど相変わらず新しい学期の始まりというのは楽しみで、この調子でいくとあいかわらず授業に出ては偉そうなことを言ってしまうのだろうと予想されるのだけれどなんといっても保坂和志の『もうひとつの季節』が面白くて電車の中で最近は他に現象学の本とTurkleの本と言語学と哲学の論文をパラレルに読んでいてどれも大変面白い。し、大変面白いと思えているということは大変よいことだと思う。

しかしながら、という言葉は通常人々は使わないらしいが僕は多用するので「しかしながら・・しかしながら・・」と呟いていると大抵は変な奴だということで「変だよ」と注意されるのだけれど「変ですから」という風に「不器用ですから」とでもいわんばかりにあんな低い声でないから高い声で答えるともはや相手にされなくなくなってしまうということで最近はそんなことも言わないくらい社会化されてきたのだけれど、そう、しかしながら研究はろくでもない方向に進んでいるしお金になる仕事も明日までに仕上げなければいけないので大変だ。自然科学をやれ。

ところで。先日久々にTOPMANに行ったらやけに派手な靴下とパンツ(下着)が売られていてあまりにポップでわーとなって靴下二足とパンツ一枚を買ったのだけれど本当にポップで素敵で今日研究員さんに靴下見せてかわいいでしょ、はは、と自慢をしたら大変ほめられたので是非ともまた買いたしたい。そして相変わらずTOPSHOPもかわいい。

そういうことで髪が伸びたので切りたいとかホットチップナイトはおしゃれして行きたいとか色々考えはするのだけれど本当はやっぱり色々悩んでいて、本当に悩みの尽きない人生だなあと思ってはみたけれどそんなの誰だってそうだろうから別に一人でツンみたいな感じでいるのはやめようと思う。思うし、もしかしたら明日は雨かもしれない。雨が降るたび秋が深まるらしい。