捨て駒でいいよ。

まったくもって困ったことに人が一生懸命プログラムを書き書きデバッグばぐばぐしていたというのに、ネグリが来るというHPを見ていたら面白くなってしまって、だって赤一色のページに「二〇〇八年三月ネグリ来日」ってこわいおじさんが出てるんだからこりゃ知らない人が見たら危険思想家だよなと思うし確か彼は共産党か何かで過激なことをやって逮捕されていた気がするし、それにしてもイタリアというのは政治が面白くて、*1だってガリバルディって確か頑張るだけ頑張って結局領土を王様か誰かに献上しちゃうし、なんていい人なんだろうかと涙が出た記憶がある世界史を学んでいて。僕だったら、とりあえず王様とかそういう偉そうなの気に入らないから、領土を占領したら偉そうに決まりごとをつくるだけつくってそのままインドの遺跡を巡る旅にでも出かけるのにさ、と思う。しかし楽しみだネグリ。会場では間違いなく知り合いの人たちと多数会うことだろうし*2上野千鶴子は最近見ていないけれどどんな風貌をしているのだろうか最近は。

今日は大学に行こうと思ったら池袋駅で財布がないことが判明して、あかんあかんこらあかんと家に戻ると面倒くさくなって仕方がないので地元の駅から電車で新宿まで出てふらふら。新宿ねえ、と思いつつふらふら。なんだかねえこの職業をやっていたらしかしこんなにも自由な人生なのかねえお金がないけれど、とかつらつら考えていたのだけれど、いい大学に入っていい会社に入ってお金稼いでという人生のルートと比べるからドクターの人たちで悩む人が増えるのわけで、やっぱりお金で比べればどう頑張っても勝ち目ないわけで、考えてみたらというか誰かが書いていたけれど理論物理とか哲学に(限らず研究に)ハマってしまった人間というのはどうしようもないアバズレに恋をしてしまったようなものだとかで、なるほどそれはそうかもしれないなあと思うし、でも今までにどうしようもないアバズレの女の子には恋をしたことはないような気がする。いい子が多かった。

そんな中で、エヌティーティーからエントリーしてねみたいなメールが着ていて、シュウカツってやっぱやってみたいよねなんか成長できそうだし、と思うも自分の選択する道ではないな、と。
ハーバーマスがどうとかThéorie de la régulationがどうとか資本の蓄積について考える前に体力を蓄積させたほうがよいようななのだけれどそういうことを考え始めると自分ダメなんじゃないかと思うのでやめて欲しいし、でも友人から順調だからそのままいけばいいよ言ってもらえたのでこのまま行くことだろう。しかし、何になることやらこのままで。

だからなんだろうそうだなあどうかしらやりたいことがたくさんあるよ、というのが今の気持ちで、クラブ行って遊ばなきゃいけないし、研究はなんだかんだで楽しいし、とにかくそろそろ目立った動きをしなければいけないような。同世代の変な人たちたくさん見つけては大丈夫だろうかこの人たちと思うけれども10年後くらいになってもまだまだいい意味でダメな人たちだといいのになあとか思う。小さく収まらないでくれればよいが。

最近はやっぱり十代の頃に見た映画とか読んだ本が自分に大きく影響するのだなあと思う日々。ビートジェネレーションを改めてかっこいいとか思ったりとかしてまだまだ自分も若いなあ青臭いなあよしよしと確認したりとか。父親からそこまで本気で打ち込めるものがあって羨ましいよと言われたから、これだけ悩んで何も見つけられなかったらどこかこの世界は間違ってるよ、と言った。人生も残り三分の二かそこら、さてさてどうしたものか。

Metronomy 'Radio Ladio'

*1:パットナムの『哲学する民主主義』もイタリアにおける南部と北部における社会関係資本の話で政治がらみであるようだし。

*2:はてな界隈の難しいこと書いてる人たちのブログでも賑わいそうだけど。