Love in the nineties is paranoid

引越し先ではベランダに出るところの窓の横にベッドを置いてみたら寝転がって星を眺められるから大変気に入っている。幼い頃に住んでいた家はそれはそれは小さな家だったけれど、寝室にあった窓の横に置かれたベッドから見える星座を見ながら一人遠く離れた星々に想いを馳せた記憶がある。それは記憶であって記録ではなくて、記憶と記録の違いって何かしらということを昔たくさん考えたことがあったのだけれど出てきた結論は考え始めて1分で出したものから発展することもなく途方にくれた記憶がある。記録ではない。記憶というのは心ヘンというのか分からないけれど憶の字に心という意味合いが含まれているわけで勿論心がないと記憶できないのだけれど、記録というのは金ヘンが付いているのだから何かを蓄えればよいだけで心がなくてもできるわけだ。というのは勿論誰でも分かるのだと思うのだけれどここからが大変で、心があるものとないものってどうやって分ければよいのだろうかという問題が生じる。そもそも心って何よ、と言い始めるとギブアップで、しかしながら心って何だろうなあ。

今日は大学へふらりふらりと来たものの全然何もする気が起こらないというか体調が悪いというか天気が良い感じだったので大学に置いてある自転車をかっさらって代官山まで走ってみたわけだけれど、しかしまあボロい自転車で代官山でずいぶん浮いていたので浮き浮きしてハミングなどはじめそうになったのだけれどただでさえ恥ずかしい感じだったので止めた。止めて自転車を降りてアーのペーのセーのサーのプラスから始まっていつものお店をぐるぐる周ってみた。中目黒を歩いていると大変かわいい髪形の女の子がてくてく歩いていたのでかわいいね素敵と思いつつ追い抜いてカウブックスに入るとその子もカウブックスでわーと驚いた。驚き序に立ち読みしていたら何だっけオーデンの詩集で気合が入ったやつがあって、すごいなあこれこの存在感と思ったりなどしたのだけれど最近はというか以前からだけれど詩はツェランが好きだから残念ですねと見送った。ツェランの廃刊のやつが欲しいのだけれどなかなかない。

中目黒いいなあとふらふらふらふらしながらボンジュール行ったりとかして寒くなってきたから帰るかなと思い立ち何とか公園に寄ってここの眺めいいよねーとカップルの間をすり抜けて写真撮ってボロ自転車に乗り込む。やっぱ渋谷行くかなって軽い気持ちで渋谷に行ってみたはいいのだけれど人が多いこと多いこと。東急プラザの前に自転車を置いてHMVへ。色々試聴したのだけれど最近は専らアルバムの名前を覚えられなくて紹介すらできない。2階のクラブ(ハウス・テクノ)を見て、3階のロック・ポップスで一通り全部見て、4階(だっけ?)のDVD見て、2階に降りて本読んで、みたいな感じが定番になってきた。

あっという間に一日が終わってしまった。あっという間に一週間が経ったし。こうやってあっという間に歳をとるということを冷静に考えると時々恐ろしくなる。もたもたしているとあっという間に過ぎ去っていくんだろうな。やるべきことは分かっているのだから一つずつやらないといけないのだろうけれども。


blur - girls & boys (live npa 1994)

Pulp: Common People

Suede - Trash

ブリットポップいいな、やっぱ。デーモンアルバーンとかジャーヴィスコッカーとかブレットアンダーソンとか90年代臭がぷんぷんして最高。