潜水服は蝶の夢を見る/ ジュリアン・シュナーベル

早稲田松竹にて。

久々の早稲田松竹。椅子に座った瞬間に、ああ座り心地いいな、と感動。やっぱりここの映画館は好きだ、と深く椅子に腰掛けて映画に臨む。

物語は、突然の病気(脳卒中系)で身体が麻痺してしまった男が唯一動かせる左目の瞬きのサインのみで書き上げた本を基にした自伝のようなもの。

主人公の男はELLEの編集長だった男で、マチュー・アマルリックが演じる。主演の彼を見ながら、ずっと、デプレシャンの「キングス&クイーン」を思い出してしまって集中できなかった。

この映画の特徴といえば、主人公の目線で映される映像だろうか。はじめ、視界がぼやけていた主人公の視覚世界を映像に投影するために、ぼやけた映像で、(主人公の)瞬きごとに画面が暗くなる。もちろん主人公の世界に入りこませるためにこういう映像の撮り方をしたのだろうけれど、個人的には鬱陶しくて好きではなかった。もっと鮮明な映像を見たいなあ、と前半はずっと思っていた。

しかしながら、中盤から後半にかけてはそうした映像は減っていく。「私」目線よりも寧ろ「他者」目線で主人公は映し出される。その姿は、身体が麻痺している人間特有の感じで唇は歪んでおり、開いた瞳の奥の眼孔は不規則に動いている。そんな彼の姿を見て(もしくは見ずに想像して)、誰もが彼を憐れみ、誰もが彼を愛してる素振りを見せる。

この映画の物語は、残念ながら凡庸だ。人生においてたまたま偶然降りかかる不幸と、その不幸から生まれた束の間の幸福*1を感動的に脚色しただけにしか見えない。人生の本当の苦しみの多くは、そのような偶然降りかかる不幸によるものではない。この映画を見て感動する人というのは、他者との距離を本気で考えたことがないのではないか。本物の映画というのは、こんなもんじゃない。

*1:この作品の唯一優れていた点は、この幸福が幸福らしく描かれなかったところかもしれない。