時間の環

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この世も終わりだよ。人間が一等車に乗り、書物が貨車に乗せられるようになったら!


ガルシア=マルケス   百年の孤独

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大学の図書館に本を返却しに立ち寄ると、新着コーナーに読みたかった本が入っていて迷うことなく借りた。一日の最後に一つでもよいことがあると素直に嬉しい。

ここのところ雨降りが続くものだから大学に行くのも億劫になっていたのだけれど、たまには大学に行って勉強するのもいいよね、と思って大学まで自転車で走った。涼しくなったと思った矢先に湿気を多分に含んだ生ぬるい空気に纏わりつかれるというのはそれなりに不快だけれども、風を切って走る自転車は心地よい。そうして気づけば今年もあと4ヶ月あまりとなっていて、月日は百代の過客にしてなどと詠った人の気持ちも分かるような気がする夜であったりする。

昨日で長らく続いた夏休みを終えることに決め、再び大学で黙々と勉強でもしようと心に誓ったわけだけれど、そんな初日から勉強会に行きそびれてしまったので人というのは本当にいい加減だなあと思う。そうはいっても行きそびれたのには理由があって、それは先日から読みつづけていた「百年の孤独」を昨晩から今日の昼にかけて読み終えたからなのだけれど、本当にこれは傑作は傑作、大傑作なので純粋に驚いた。大体僕はある作家においてその作家の代表作から読むということをせずに短い作品から読むという怠惰な性格であるからいけないのだろうけれども、ガルシア=マルケスにいたってもそれは当てはまり、何とかというよく分からない作品を過去に齧って詰まらなかった記憶があったのでこの作品この作家に対して距離を取ることになっていたのだった。ということでこれがどんな作品なのかということは検索を行えば様々な人が語っているので僕が語る必要は感じないのだけれど、とにかく題名のとおり愛と孤独の物語で、その壮大さに感慨を受けてしまったわけである。そしてこの登場人物一人一人が実に生々しくて、ストレスがたまると土を食べるレベーカはさておき、まったくもって人間らしいのであった。つまるところこれは騙されたと思って読んでみるべきであって、まあ恋も人生も騙し騙されだから、みたいな台詞が出てくるのはこの作品を読んだせいなのですぐにそんなことは言わなくなることだろう。

そんなわけで、夏の終わりは楽しいぱーりー、ではなく読書で過ぎ去っていったわけで、今朝ベッドの上で本を読んでいたら近くの学校のチャイムが鳴っていたことや朝マンションの廊下を駆け回る子供の元気な声が聞こえたのは今日から新学期だからなのだなあということに今気づいた。なんだか久しぶりに小学生くらいの生意気な男の子たちとサッカーや野球などして遊びたいのだけれど、まだ遊んでもらえるだろうか。実家に帰った際にわざわざその存在を確かめに向かった母校の小学校のグラウンドは確かにそこにあったけれど、人っ子一人おらず、妙に悲しい気分になったことも同時に思い出した。