091126

昼食後の昼下がり、木の葉が木々の枝のその先端から宙を横切って、その先の、柔らかな土にたどりつくまでのあいだを、ぼんやりと眺めていた。

とてもとても短い間のことだった。


広島から東京に引っ越してきて初めての冬、東京の冬の一日の短さに驚いた。

冬の一日は、短く、夏の一日も、やはり短かった。


やりたいことを頭の中と両手の指をつかって数えていたら、数え切れなくなって、やめた。ひとつひとつ紙に書き残しておかなければいけない。たくさんの人と約束をしても、かなわないのでは、いけない。分かってはいるのだけれど、頭の中で、ぐるぐるぐると混じってしまって、約束したことなのか、やりたいことなのか、判断がつかなくなって、下腹部と、後頭部が、鈍く、痛みはじめるのだ。


自転車を買わなければ。ブレーキをかける度に大きな音がして、これでは眠っている仔犬を起こしてしまいかねない。やさしく抱き上げてあげられないのであれば、せめて、邪魔だけはしないように。なんだか、人との関わり方と同じだ。なるべく関わらないように、ひっそりと。寂しさは、つよくおさえて。

大人になったのだろうか。本当に、ほんとうに苛立つことがなくなってきた。ストレスを感じることはないわけではないけれど、不満をぶつけたところで解決したことは、一度もない。その場ではすっきりするが、後に悔恨の念に纏わりつかれ、畢竟解決には至らない。ただ、そうはいっても、自分がこうだと決めたことに関して退くことは適わず、生き難さは霧消しない。


街を歩くことがただただ楽しい。遠くから聴こえる子供たちの声、学校のチャイム、木々の葉を掠める風、スニーカーのソールがコンクリートのでこぼこ道にぶつかる音、電車が通り過ぎる刹那、意識をもって、何か、何なのか分からないけれど、その何かを感じていることが、どうしようもないくらい特別なことのように思われる。


特別ではないことを特別に思えるようになってから、少しだけ、世界の秘密を知ってしまったような気分になった。

あれは17歳の冬のある日で、その年の冬は、小さな町に牡丹雪が降った。自宅の窓を開けて空へ向けて手を差し出すと、ふわりと掌を冷たい塊が充たし、やがて消えて行った。かたちのあるものは、どうやら、消えてしまうようだ。そのときはじめて、当たり前であるように思われることに、なぜか、少しだけ寂しさを覚えた。その寂しさは、まだ、消えそうにない。