帰り道


西の空に沈んでいく夕日をすこしの間眺めてから、自転車をゆっくりと走らせる。2車線が平行して走る路面電車のレールの脇に設けられた一本道には紫陽花が植えてあって、夕方には家族連れとよくすれ違う。日露戦争の際に立てられたという記念碑のある神社を一人でぶらぶらと歩いていたら、カブトムシが地面に仰向けに転がっていて、夏か、と梅雨明けの空から差し込んでくる木漏れ日の下で手に取ってみたら、それは、オモチャのカブトムシだった。カブトムシがいるのは地面じゃない、と近くにあった高い樹の表面にカブトムシをひっかけるようにそっと置いてみた。なんだかこうしたら生きているようで、正しい気持ちになった。


19時の夕暮れは17時の夕暮れとはちょっと違う。薄闇。ホタルを見るためには長い列が減っていくのをじっと待たなくてはいけないようで、一人では手持ち無沙汰で、来年でいいや、と結局列には並ばずにその場を立ち去った。家族連れが何組も横を通りすぎていき、少しだけ孤独な気持ちになる。剥き出しになった橙色のランプの下に照らされた植物の姿はどれも美しく、白くて小さな花を草の先に控えめにつけた植物の名前には鳥の名前が含まれていた。もしかして、やっぱり、この植物の姿がその鳥の姿に見えたからこんな名前がつけられたのかな、きっとそう。なんだか一人間違った場所に迷い込んでしまったようで、太鼓の音、いか焼きの匂い、小学校にあがるもっと前、近所の神社で毎年行われていたお祭りに来ているようで。夏、夏、夏、とうなされるようにぽつぽつとつぶやきながら歩いたのは、昨年の今頃、コンクリの上で重たいコンピュータに押しつぶされそうになった日々の所為で。夏、夏、夏、浴衣の女の人と男の人が何歩も前を並んで歩いていて。家に帰ったら線香花火、それはやっぱり一人でやるにはちょっと心許ない。心許ない帰り道のおぼつかない足取りでもなんとか自宅に帰れるようになったのだから、7年の一人暮らしは、やっぱり長い。