しかし、しかし、と言い訳ばかりを考えていたら11月ももう終わる。
昨年の今頃は毎日に追われて毎日を追いかけまわしていたけれど、なかなかそういう日々が訪れない。


何かが足りない、と思っているらしい。
本当は足りないわけではない、ということも分かってはいるのだけれど。


自分自身の考え方について夜な夜な考えている。
どれだけ偏っていたとしてもそれは恐らくこれまで自分にとって適応的だったからこそ選んできたわけで、誰もそれを咎めることは出来ないはず。
自分自身のことを肯定する言葉をいくつか探って、探り当てて、言葉にしてみる、それがこうやって日記を書き付けることなのかもしれない。


だれかのことを強くも思わず、弱くも思わず、ただじいっと眺めてみる。
宝物を見つけたときのような感動と、毎日同じ電車に乗る無感動の間。満ち足りる日もあれば足りない日もあって、太陽が沈むほんの一瞬を待ち侘びている。


明日になれば、明日になれば、と明日のことを考えることと、今日こそは、今日こそは、と力が入る両脚。
タイミングの難しさにどこかで心を傷めてみたり、気にすんなよ、と自分自身につぶやいてみたり。誰も肯定してくれないのであれば、自分が、自分が肯定するしかないのだよねえ。きっとそんなことを考えている人たちはいくらか同じ東京に住んでいるはずで、彼らと交信するための術を探している。


誰かが、という言葉と、誰かに、という言葉の次に、誰かを、という言葉をつなげようとしている。
つながりのない毎日があんなものを生み出したのか。なんてこと、ベランダで星空を眺めながらうつらうつらと考えるのだけれど、冬の風はやっぱり冷たい。