no title


「わしは公生活に向いた人間だし、わしの親戚もみんなそうなんだ、どんな身分の低い者でもな。わしらが姿を現すといつでも、大きな注意をひくのだ。わし自身は実際にはまだ姿を現したことがないが、現わしたら、すてきな光景だろうよ。家庭第一といえば、あれはひとを急に老けさせ、もっと高尚なものごとからひとの心をそらせるね」


「ああ! 人生の高尚なものごと、なんて立派なんでしょう! それで思い出したのですが、わたし、とてもおなかがすきました」



「すばらしいロケット」 オスカー・ワイルド


雨が降るという予報ははずれ。穏やかな日差しの朝とともに一日が始まり、午後から曇る。


最近は自分のやりたいことについてまた考えている。
もうそんなことを考えているような場合ではないというのも分かるのだけれど、譲れない部分はやはり譲れない。考えてから行動するのではなくて行動してから考えればいいのは分かってはいるのだけれど、やっぱり難しい。何を楽しいと感じるのか、それを信じてやってみればいいんじゃない、というのはよく相談する人生のセンパイの助言なのだけれど、やっぱり自分が楽しいと思うことでないと続かないし、それを続けられる方向を考えたほうがよいのかもしれないな、とおもう。



「続けられない」->「モチベーションの喪失」



ではなくて




「続けられない」->「続けられない理由を考える」->「本当に続けたいのかいろいろと試してみる」->「続けるかどうか選択する」




という方向で考える。


なんだかビジネスマンみたいだけれど、こういう「実用的」な思考というのは実はすごく大切だし自分に欠けていたのだということを学んだ一年だった。あとは、いかに反対意見や消極的な意見を緩やかにかわし、「偉い」人たちの隙間をくぐり抜けていくかという技術の重要性。そういったさまざまな技術を駆使して社会人という人たちは生き延びているらしい。大人というのは思ったより大変だけれど、やっぱりやれることを積み重ねていくしかないのかな、という気がしている。
そろそろまたいくつかの事柄について卒業しなければいけない頃合いらしい。




小沢健二 - 天気読み

オザケンって気分ではないけれど曇りがちの空の日はこの曲。
本当は何か本当があるはず、なんてもうちっとも思わないけれど。本当だとか嘘だとか、正直もうどっちでもいい。