2012年を振り返る。2013年を考える。
「なんだ、相変わらず断食をやっているのか」と親方が訊ねた、「いったい、いつになったら終わることやら」「頼むから、このまま続けさせてくれないか」と断食芸人は蚊の鳴くような声で言った。親方だけは、耳を鉄格子に押しつけていたので、彼の言うことがわかった。「もちろん」と親方は言いながら、指を額にあてて、裏方たちに断食芸人の様子をほのめかした、「このまま続けて構わんよ」「いつだってあんたらを、この断食で感心させてやろう、と思ってきたんだがね」と断食芸人は言った。「そりゃ、感心しているとも」と親方は、相手に逆らわずに言った。「もう、感心するのはやめてほしいんだ」と断食芸人は言った、「いったい、どうして感心してはいけないんだね」「それは、せざるをえなくて断食をしているからさ、ほかにどうしようもなくってね」と断食芸人は言った。「へえ、そうなのか」と親方が言った、「いったいどうして、ほかにどうしようもないのかね」「それはだな」と断食芸人は言って、小さな頭をちょっと持ちあげると、接吻するように唇をとんがらかしてぴったり親方の耳に押しあて、いささかも洩れないようにしてささやいた、「美味いと思う食べ物が見つからなかったからなんだ。見つかってさえいればな、世間の注目なんぞ浴びることなく、あんたやみんなみたいに、腹いっぱい食べて暮らしていただろうと思うけどね」それが最後の言葉だったが、その光を失っていく瞳に浮かんでいたのは、もはや誇らしげでこそなけれ、まだ断食を続けられるぞ、という強固な確信であった。 断食芸人 - カフカ
年末に振り返るつもりだったのだけれど、あっという間に1月3日。実家でお茶を啜りながらぼんやりとしています。いつの間にか年末年始に実家に帰るようになったのだけれでもいまだになんだか不思議な感じで、今年もふわふわとしながら毎日を過ごしています。とはいえ、それでもどこかで強固な確信を感じているわけですが。
生活について。
昨年は、あまり動きもなく、淡々と暮らしていました。生活を第一に置こうという目標はそれなりに達成されたような気はします。家事全般に対する苦手意識を克服して人並みには家事ができるようになり、少し健康的になって体重も増えました。来年は、生活といっても金銭的なことも含めた生活の軸を作ることが目標です。余裕とまではいかずとも、これでなんとかなるんじゃないかという程度のリズムはつくりたいなとおもいます。何にお金を使って何にお金を使わないのか。どれくらいお金を稼いで、どれくらい使うのか。あまり得意ではないけれど、そんな現実的なことを考えながら生活していくことができたらなあ、なんて考えています。
研究について。
気づけば修士課程を出てあっという間に3年近く経ちました。ひっそりこっそりいろいろと仕込んでいるのですが、いい加減成果を見える形にしていきたいとおもいます。修士のときにやっていたようなこと(研究活動以外の活動)は、より若手の方に譲ればよいかな、と思っていて、今後はそれをサポートする側に回りたいとおもっています。昨年からときどき学部生や修士課程の学生の方と話す機会があって、卒業論文のことだけではなく学生生活のこと等いろいろと助言をさせてもらっているのですが、やはり楽しいなとおもいます。やはり大学生というのは悩み多き年頃なのだなあと感慨深く自身のことを思い返したりしています。
仕事について。
これはある程度自分にできることは限られてきたような気がします。「自分にとってはそれをすることはさほど難しく(辛く)ないけれど、それをすることで人の役に立つことができること」ということは思っていたより少ないようです。昨年もいくらか新しいことに手をつけてはこれは違うのではないかと悩んだりしたましたが、その過程で自身に出来ることもわかってきたような気がします。昨年一つ新しく分かったことは、「自分が簡単に出来ることは他人も簡単に出来るわけではない。一方で、他人が簡単に出来ることが自分に簡単に出来るとは限らない」というとても当たり前のようなことで、でもそれをはっきりと認識することで無駄なプライドは捨てられたのではないかとおもいます。特に他人に困ったこと解決してもらうように頼むことを学び、少し楽になりました。強情に出来ると言いはってやることは必ずしも周りの人々にとっても有難いことではないようです。
大学院を出た年に自宅の机の横の壁に「生活・研究・仕事」と大きな文字で書いたメモを貼りつけておいたのですが、そのときの気持ちに忠実にこの3つのバランスを考えながら過ごした一年でした。うまく行ったこともうまく行かなかったこともたくさんあったけれど、まあ合格点をあげられる年となりました。年齢を重ねることで、あまり無茶なことをしなくなって落ち着いてきただけのかもしれませんが、まあそれもよいのではないでしょうか。
一方で今年は、それら3つについてアウトプットの割合を少しでもよいので増やせるようにしたいと思っています。どちらかというとインプットの方が好きなので本を読み始めたらずっと読んでしまったりと受動的な活動に流れがちなのですが、ことしは能動的になれるように気をつけます。インターネットを眺める時間もずいぶんと減ってきて、このままいなくなるかもしれませんが、それもまた人の世ということで、インターネットに限らず出会いがあれば別れもあるものなのでしょう。
最後に。昨年出会った素敵なものたちを列挙してしてみます。もともとここはそんなことを書きつける場所であった気がします。なんだかずいぶんと時間が経って、思い出せなくなりつつありますが。
映画。
デヴィッド・フィンチャー 『ドラゴン・タトゥーの女』
ただただスリリングな一本で、素晴らしい3時間でした。フィンチャー最高、です。
砂田麻美 『エンディングノート』
この世から去りつつある人間、それも家族をこれほどまでに冷静に、かつ暖かく見守ることが出来る人がいることに驚きました。泣きながら、大笑いして、素晴らしい時間を過ごしました。
ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス 『リトル・ミス・サンシャイン』
家族のしがらみを描きながらもとても温かい映画で、家族で動かなくなったトラクターを押して走るシーン、ミスコンで家族が大暴れするシーンは涙なしでは見ることはできませんでした。
ティム・バートン『ビッグ・フィッシュ』
これまた家族の物語。父と子の距離感はリアルに感じられたし、一人の男の人生の描き方としては素晴らしいものでした。ほんとうに「人生なんて、まるでお伽話」なのでしょう。うつし世は夢夜の夢こそまこと、なのでしょうか。
アルフレッド・ヒッチコック 『サイコ』
誰が何を言おうと、ヒッチコックは素晴らしいですね。
ホセ・ルイス・ゲリン 『シルビアのいる街で』
ストーリーはあまり好まないのではないかと危惧していましたが、思いの外しっくりきました。ただただ美しい街の風景と音。素晴らしいです。
ヤン・シュバイクマイエル 『ファウスト』
ゲーテの『ファウスト』は小説の中でももっとも好きなものの一つですが、この作品はある意味で忠実に映像化したもので、素晴らしい出来でした。
ビリー・ワイルダー『サンセット大通り』& ファスビンダー『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』& オーソン・ウェルズ『市民ケーン』
華やかな世界の裏側を描いた映画はいくらかおもい浮かびますが(例えば『マルホランド・ドライブ』)、この3作を対で見ることは非常に楽しい経験となりました。華やかな世界とそのすぐ隣にある闇、現実でもよく見る光景ですね。
本。
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
非常に有名な古典ですが、ただひたすらに傑作です。かなりの分量がありますが、この世界観に一度入り込むことが出来れば、容易に最後まで読むことができるでしょう。
アルフレッド・ロード・テニスン『イノック・アーデン』
これまた著名な古典ですが、詩のような小説です。『嵐が丘』(さらには『わたしは真吾』)もしかりなのですが、真の愛とやらは、いつの時代も実らないものなのでしょうか。実らないが故の、という逆説的な構造にはいつしか納得がいかなくなってきましたが、なにはともあれ傑作です。
『あしたも、こはるびより。』
前向きなおじいちゃんとおばあちゃんの本。たくさん元気をもらいました。
音楽。
- アーティスト: Yuichiro Fujimoto
- 出版社/メーカー: Audio Dregs Recordings
- 発売日: 2012/08/28
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昨年一番聴いたアルバム。
おまけ。
以上です。
すべての人々に実りある一年が訪れますように。