好き好き大好き超愛してる / 舞城王太郎 & 疾走 / 重松清

そういえば、舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』と重松清の『疾走』も最近読みました。

前者は、相変わらずの舞城ワールドで、正直、よくわかりませんでした。

好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。

ただ、「たとえ自分の気持ちが伝わらなくても、伝えようとすることにはすごく意味がある」というようなことを登場人物が言ったりするのですが、成程、確かに「愛は祈り」であって、それは「祈るから愛なのだ」なぁ、としみじみと思いました。

後者の作品は、結構キツめの内容だってことは知っていたのですが、確かにキツかったです。

疾走

疾走

主人公の男の子が、「なんで・・(ヒドイ)」な少年時代を疾走していくストーリなんですが、これがまぁ、キツいのなんのって。

どんな状況にたっても希望を持ち続ける主人公の姿は、けっこう切ないです。

まぁ、救われない物語ではないので、重松さんもやっぱ人間なんだなぁ(当たり前)と思いました。

とはいえ、やはり典型的な悲劇ものという感も拭えません。

だって、『白夜行』にせよ、『疾走』にせよ、結局作者は同じ過程を経らせて、同じ救いを与えてるわけですし。

村上春樹は、そんな安易な救いを描かないところが好きです。

かといって、単純なハッピー・エンドでもないですし。

いや、『ダンス・ダンス・ダンス』は安易なハッピー・エンドなんですかね?

まぁ、四部作にも亘る大作ですし、最後くらいそんな安易な終わり方でもいいんですかね?

スティービー・ワンダーの曲の最後みたいに。

じゃじゃじゃん

で終わり。

まぁ、人生なんて

じゃじゃじゃん

で終わってしまうのかもしれませんが。

・・って、そういう全体的視点を持ち合わすことができないんじゃないかという疑問を友人にぶつけているくせに、これじゃぁ、駄目だ。

メタ化された人生なんて、すでに君がさっき言っていた「人生」とは様相を異にしているんじゃかないか?

しかし、偉そうなことを言ったものだ。

今日大学であったら、またこの話を持ち出そう。

絶対嫌がられるなぁ・・・。