コルシカ島に連れてって。
先日から来週にかけてやらなければいけないことが積もってしまって、なんだか困ったものである。
眼鏡を新調して、グレアム・コクソンな気分になってみたり(似てない。。)、なんとか時間を無理やりつくって映画を見に行ったりしているのだけれど、如何せん帰宅時にはヘトヘトである。
こんなときこそ旅行なんていいのだろうけど、残念、そんなことをしていると大変なことになる。
でも、二年間ずいぶん頑張ったのだ、今年の末にはどこかへ行って休みたい、そんな気分なのだ。
少しくら休んだってバチは当たるまい。
遠くなくたっていいし、近くなくたっていいや。
環境ががらりと変わるようなところではなくて、とにかく落ち着いた、休めるところがいい。
一人でもいいし、二人でもいいし、とにかく少人数がいい。
夜中に酒をのんで騒ぐんじゃなくて、酒をちびちび飲みながら(実は僕はほとんどお酒が飲めない)これからのことを話すのもいいじゃない。
月が仄かに空を明らめていて、星が静かに輝いている夜がいいな。
東京の空は今の僕には少し明るすぎる。
東京の街は今の僕には少し騒がしすぎる。
そういえば、両親が久々に広島に帰って来いと言っていた。
前回はいつ帰ったろう。
大学に入ってからたぶん三回くらいしか帰ってない。
中学生のときの友人は高校を出て働いているものも多く、彼らから見て僕はどううつるのだろう。
「お前、まだ学生なんてやるのか?正気か?」なんて言われるのかな。
正気か狂気かは定かではないけれど、彼らとはどこかで違う道を選んだのは確か。
日々思うことだけど、気づけばずいぶんと敷かれたレールを脱線してきた。
高校の途中までは敷かれたレールの上を全速力で走っていたのだけれど、そんなのってなんだか「自分」じゃないよなって思ってから、線路が見えなくなってしまった。
それからは、自分の道は自分でつくるって決めて進んできたけど、自分の進んできた跡に道はきちんと出来ているから、少しだけホッとする。
「たった一回きりの人生なんだし、思うように生きさせてよ」って、言うのは簡単だけど、実際には両親なんかはひどく心配していることだろう。
僕の両親は二人とも高卒で、18のときから働いていて、大学院てのが何をやっているのかなんてちっとも分からないと言っていた。
だから、父親は「生きたいように生きなさい。お前の人生だ」なんて僕にいつも言うのだけれど、僕が何をやろうとしているのかも分からずによくそんなこと言えるなあ、なんて思うのだけれど、親というのはきっとそんなものなのだろう。
気付けば両親が僕を生んだ歳まであと5年程度だけど、僕は自分の子供が出来るだなんてちっとも想像出来ない。
子供を見て、子供と遊んでかわいいなあ、なんて思うけどさすがに育てるとなると話が別だ。
僕はある人に「人を愛せるかどうか自信がない」って言ったけど、それは本心で、今までに人を愛したことはない。
愛された記憶もない。
だから、理論の上で人を愛することの不可能性が証明されれば少しだけホッとするのだけれど、それでも愛のない世界なんてドナルド・ダックのいないディズニーランドのようで、少し物悲しい。
だったら、少し世界を変えてみればいいじゃないか、って思ったのは最近のことで、それって自分が変わらなきゃってことで、なんとか頑張っているのだけれど、やはりそういう才能がないのか、結構つらかったりする。
でも、諦めるのは違う気がする。
諦めずになんとかなるさって進んでいこうと決心することが出来たのはきっと二年間道なき道を迷いながらも進んできたからだろう。
まだまだ、まだまだ、って自分に言い聞かせながら、もう一歩踏み出す。
たとえ迷ったとしても、
なんとかなるさ。
いつものことさ。