Bande à part.

ときどき自分のどこかの部品が壊れてしまって自分がはなればなれになって露も知らないはるか遠くへ行ってしまう感覚が身体から意識から離れないことがある。どうせならいっそのことすべてが壊れてしまえばいいのにと思う。久々にそんな気分だった。やはり生まれながらに不良品だ。引きたかったな、当たりくじ。

どうやら月曜日が大変忙しいこともあって火曜日は疲れがたまってしまっているようで、今日は二限が休講だったから異常なくらい眠ってしまった。そのせいで今日は頭が働かなかった。

それでもしょうがないから遅れたけどホンゴーに行ってニシガキ先生の授業を受けて、前回書いたことが間違っていて落ち込みつつ授業中に昨日考えたシミュレーションモデルについて考えていた。面白いシミュレーションになりそうだ。ボスにも相談しよう。

授業後は相変わらず哲学を専攻してる人と話し込む。アカデミズムからは受け入れられないけど、だからといって俗世的でもない学問が生き延びるにはどうしたらよいかということについて議論。支持者を得るのが難しいですよね、ということで意見が一致。途中で彼の知り合いの女性が出てきて、素敵な笑顔で立ち去っていったが、彼女はカントが専門らしい。人は見かけによらないのである。

そんなこんなで今日もすごく晴れていて気持ちが良かった。図書館の前の噴水があげる水しぶきが沈みゆく夕日に照らされる様子を見ていると三年前に友人たちと行った沖縄で見た虹を思い出した。あれから三年も経ったのか。就職を選んだやつ、留学したやつ、そのまま大学院に進学したやつ、外に出た自分、様々だ。車の窓を全開にして音楽を口ずさみながら海沿いの道を走り、バカみたいに無邪気に砂浜を駆け回り、アホみたいに必死になってカヤックを漕いだ仲間たちは今頃どうしているだろう。離れてみて、失ってみて初めて大事なものに気づくということを僕は何度も何度も繰り返し繰り返し経験してきたというのに、いつも後から気づく。拭えない喪失感。大切なものはしっかりと抱きしめておかなければいけない。しっかりと。それでも。それでも、指の、腕の、隙間から、あいだから、少しづつ、少しづつ、零れてゆく。

「あなたは愛する人をなくしたことがある?」

「何度かね」

「それで今はひとりぼっちなのね?」

「そうでもないさ」とベルトに結んだナイロンのロープを指でしごきながら私は言った。「この世界では誰もひとりぼっちになることなんてできない。みんなどこかで少しづつつながってるんだ。雨も降るし、鳥も鳴く。腹も切られるし、暗闇の中で女の子とキスをすることもある」

「でも愛というものがなければ、世界は存在しないのと同じよ」と太った女の子は言った。「愛がなければ、そんな世界は窓の外をとおりすぎていく風と同じよ。手を触れることもできなければ、匂いをかぐこともできないのよ。どれだけ沢山の女の子をお金で買っても、どれだけ沢山のゆきずりの女の子と寝ても、そんなのは本当のことじゃないわ。誰もしっかりとあなたの体を抱きしめてはくれないわ」

「そんなにしょっちゅう女の子を買ったり、ゆきずりで寝てるわけじゃないさ」と私は抗議した。

「同じことよ」と彼女は言った。

 まあ、そうかもしれない、と私は思った。誰かが私の体をしっかりと抱きしめてくれるわけではないのだ。私も誰かの体をしっかりと抱きしめるわけではない。そんな風に私は年をとりつづけているのだ。海底の岩にはりついたなまこのように、私はひとりぼっちで年をとりつづけるのだ。



世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』   村上春樹