賭け事には弱い。

「やって後悔するか、それともやらずに後悔するか」という選択肢が自分の目の前に現れたとき、どうにも僕は今まで「やらずに後悔する」方ばかりだったので、そろそろ「やって後悔する」方を選んでみようと思う。あまりに「選択」をしてこなかった。あまりにも。

今日は昼ごろからゼミ。ふらふらと話を聴き、そのあと二限連続で授業(ゼミ)で、放課後は相変わらずコンピュータ環境を整えていた。そして今日はたまには早めに家に帰ろうと思い家に帰りゆったりしながら(家でゆったりしたのなんてなんと久しぶりなことか!)本を読んでいたらうとうと眠たくなって、さてさて眠たいなあと思いつつベッドの上でうーんとか言いながら『大学生の論文執筆法』*1を読んでいて気づいたときには眠っていた。夢を見ることもなく、よっぽど疲れていたのだろう。そういえば大学三年生くらいから昼寝のようなものをすることが少なくなり、一日五、六時間睡眠で(別に少なくはないのかもしれないが)朝から晩まで授業と課題とレポートをこなすことにしてきたが、そろそろ歳なのだろうか、流石にこれでは頭が働かず効率が悪い。今振り返ると高校生の頃というのは学校にもろくにいかず惰眠を貪ってばかりいたが、本当に考えれば考えるほど大学生と高校生の生活が逆であるべきであったなあと思う。随分マジメな人間になったものだ。

そんなことを考えていると、そうはいうけれど学士で就職していたらこんな呑気なことも言っていられないのかなあと思てみたりして、さてさて会社で働くというのは本当に可能なことなのだろうかということを山手線に乗っているサラリーマンを見ていて考えるのだけれど、そうそう、今日の帰り道に山手線の電車の中で酔っ払って顔が真っ赤なサラリーマンがぽかんとだらしなく口を大きく開けて眠っている姿を見て、それを醜いとは思わず羨ましいと思ったのは、やはり自分が歩いているときはいつも考え事をしていて眉間に皺を寄せているかじっと地面を眺めながら歩いているからかもしれない。いつも考え事をするというのは思いのほか苦痛であるのだけれど父親はどうやらそのことがわからないようであった。

二時間ほど眠ったのはどうやら良かったようだ。最近は変な時間に眠ると起きたとき気分が悪くてしかたなかったのだけれど、今日は大変頭がすっきりしており良い。明日のゼミで発表がある資料に目を通して、本を読んで眠ろう。もう金曜日か。ここ数ヶ月は今までの人生の中で最も早く時間が過ぎ去って行っているかもしれない。時間が愛おしい。過ぎたものも。これから訪れるものも。今このときでさえも。

*1:大学院生が読むのもあれなのですが笑。あ、でもこれから論文を書く人とか論文読むのが好きな人にはお奨めです。佐伯啓思とか上野千鶴子前田愛なんかの論文(論考?)を挙げてあれやこれやと批判します。永江朗氏の批評の仕方に似ていると思う。