映画のようなワンシーン。走る。

ごきげんはいかがですかと訊かれたら僕は、うーん、と考え込み始めるような人間なのだけれど、ここ数ヶ月あらゆる物事について考えてきて相変わらず考えなければいけないことは尽きなくて困っていて、昨日あまりの体調の悪さから早めに眠ったら少し元気になっていたので今日は朝からふらふら本郷へ行ってきた。授業は相変わらず知っていることばかりで一階述語論理とか命題論理とか今更な気分なのだけれど本当に今更な気分。面白いのだけれど。ということで、授業後は四時のゼミまで図書館でお勉強。木曜日の資料作りに徹するわけだけれど、読書記録を作っていない部分はあまり覚えていなくて、ああ結局読書記録は付けるべきなのだなあと反省した。それにしても、資料作りというのは大変で、でも授業がなければなんとか時間をとってできるのだなあと気づき、そりゃあ夏学期は死ぬ思いをしたわけだ、と自分の無謀さと頭の悪さにがっかりした。というのは嘘で、もう今更がっかりはしないことにした。ある種の防衛本能なのだろうか。しかしながら、自分に期待しないというのは客観的考えるとなかなか寂しい。

ということで、今日も相変わらずゼミでふらふら話す。が、時々回りの人との温度差を感じてしまいだんまりになってしまいそうになった。なんていうのか、お互いが前提としていることを共有できなかったり、(自分でもぼんやりとしか見えていない)イメージが共有できなかったりすると「??」な議論が始まるのでここら辺はやはりタイミングを見て話し始めなければいけないようだ。頭が働いているときにはそれほど難しいことではないのだけれどなあ。

帰り道はキタダ研の人と色々議論。Luhmannを葬り去ろうとか色々話したのだけれど、二人とも一致したのは理論系の学問は大変だということで、さてどうしますかねえと雨の中色々話していた。電車の中で、「要は誰もLuhmannの全体像なんて分かってなくて、「複雑性の縮減」とか「二次観察」を都合よく使ってるだけなのではないか」ということで意見が一致(いや、そうでない人もたくさんいるのだろうけど・・)。相変わらず社会学の話は面白い。社会学と自然科学の接合、これは今後の研究のテーマであり続けるのだろうな。そして、ボスが最近出した本が本当に面白い。こういうのを読んでしまうと、有名大学を出て有名企業に入るとかそういうことよりお金も権力も何にもいらないから本当のことが知りたいと思ってしまい、学問せねば、と思うし、もしかしたらこれは学問への愛なのかもしれないとすら思ってしまう。ずっと恋をしていた気がするのだけれど、愛になってしまうとこれどうしようもなくて、好きな人と一緒にいたいという思いと同じで、現実は結構大変なのだけれど、研究と心中してもいいのではないかと思ってしまうから本当に若さというのは罪である。やっぱり、幼い頃からそうなのだけれど、人に対しても、それ以外のことに関しても、「好き」ということに関して妙に厳密で本気になってしまうことが関係しているのかもしれない。好きなものにもっと軽い気持ちで接することが出来たらもう少し生きやすかったのかもしれないなあとか思いはするけれど、今更自分でなくなることは出来なくて、これからも自分と付き合っていかなければならないようだし、うまく折り合いをつけていかなければいけない。好きなことばかり出来ないのは頭では分かってはいるのだけれど、さて、どうしたらいいのかな。