帰っておいで。

久々に調子が上がらなくなってきたのでふらふらと文章を書き連ねてみようと思う*1。といっても実は何度か文章を書き連ねるという作業は繰り返しはしたのだけれど、このところ頭の中の思考回路がいつもと違う回路を構成しているので脈絡のない言葉を延々と連ねるだけであったり、単体では意味のある言葉が整理されていない道を辿ろうとするので、迷子になってしまうのだった。

迷子といえば僕は今でも鮮明に覚えていることのひとつに迷子の経験がある。それはショッピングセンターのようなところに母親と一緒に行ったときのことだった。たぶん4歳くらい。母親だと思ってついていった女の人の顔をよくよく見ると母親ではなくて、パニックに陥って思わず泣き出したと記憶している。それ以来ある時期まで一人でいることが恐かった時期があった。眠るときに一人で寝られなくて両親の寝ている部屋で眠ったり、眠っているときにときどき一人でいることが不安になって目が覚めることもあった。気づいたらみんないなくなってしまうのではないか。その延長として自分が死んでしまったらまるっきり一人きりだけれどどうすればよいのだろう、そんな不安な日々だった。

一方で年齢を重ねると一人でいたいという気持ちも生まれてくる。中学生、高校生くらいになると両親と衝突することも多くなり家にいることが少なくなった。家出はしたことがないけれど、家に帰るくらいなら友達と喋っていたほうが楽しくって、塾の帰りに友人たちと駅のマックでダベって帰ったり、深夜までやっている本屋に寄り道をして夜遅くに帰ったりして、それがまた衝突の種になっていた気がする。そのころの僕は一丁前に「一人で生きていく」と言い張っていたような。それは無理だよね、というのが大人になった僕の感想だけれど。

あ、思い出した。僕も家出(未遂)をしたことがあった。原因は憶えていないけれど、母親と喧嘩をして家を飛び出した。飛び出したのはいいけれど、小学生の自分には行く場所がない。

2丁目の家から4丁目まで家出する?そんなガキみたいなことできるかよ*2。じゃあ山越えちゃおうぜ、山。暗くなった山で遭難とかしたら怒ったことを反省するんじゃないか、母親は。

そんなことをいろいろ考えているうちにお腹が空いてくる。家のドアを勢いよく開いて飛び出したはいいけれど、まだ玄関から10メートルしか進んでないよ。ああいい匂い、今日の晩御飯なんだろう?いやまて絶対許さない、自分は悪くない。

そんな自分の中の葛藤を繰り返していると、家の扉がゆっくり開く。

「××、夕ご飯の時間だからほら早く家に入りなさい」

素直になれずに真っ赤な目をして知らんぷり。

「お母さんもう怒らないから」

その言葉を聞くやいなや、どっと不安が涙に変わって「ごめんなさい」と心の中で呟きながら暖かい部屋へと手をひかれて入っていった。その日の夕飯は熱々のロールキャベツだった気がする。寒くなってきたし、温かいものが食べたいな。

*1:結局”誰か”に向けての文章になってしまった。

*2:ガキのくせに(笑)