午後10時半、下北沢。おそめの夕飯を食べながらぼんやりと考えていたのはこれからのことや他のいろんなこと。目の前の多くのものに”未定”というタグがはりついているのがはっきり見える。

カルビ丼を頬張りながら初めに考えていたのは両親のこと。いい大学に行って、いい会社に入って、幸せな人生を送らせるつもりだったのだろうな、とぼんやりと彼らのことを考える。もしも自分が有名な大学を出て有名な会社に入ったら彼らが幸せなのなら、騙されたふりをして望みどおりの人生を送ってあげるのも親孝行なのかなあ、ということをずっと考えていた。ずっと自分のことばかり考えてきたなあ、と東京に来てからの6年ちょっとを思い出していた。6年前の7月は隅田川の花火を見に行って東京の人の多さに驚いた記憶がある。あのときも「このままじゃあダメなんだよ」って一緒にいた人にいったっけ。このままじゃあダメなんだよ、って今でも思ってるなあ。もう6年も前なんだ。

それからある女の子のこと。せっかく出て行ったこっち側の世界に戻らせるようなことはしちゃいけないんだろうなあ、と彼女の言葉のひとつひとつを思い返しながら考えていた。レールに乗って生きていけるんだったら乗って行った方がいいに決まってる。自分はもともとレールに乗っているようでとうの昔にレールから降りていたのだから仕方がないけれど、戻れるのなら戻ればいいのだと思う。違う、と思ったら全速力で戻ればいいんじゃない?って話したもんね。

下北沢のなんとか通りを歩きながら、下北沢をふらふらしているこの若い人たちってこれからどうなるんだろう、普通に社会人になって結婚とかして子供が出来てオッサンになって爺ちゃんになって死んじゃったりとかするのかなあ、とか考えていた。他に何があるのかわかんないけど。何があるんだろう、何を期待してるんだろう。

先日読んだ磯崎憲一郎の『世紀の発見』で主人公の”彼”は自分の人生は何かに決定づけられているという感覚に捉われていたのだけれど、僕はいままでにそうした感覚を感じたことはない。偶然の積み重ねばかりで、まさかここでこうしているとは思っていなかったし、ウェブ上にこんなにも長い期間自分の独り言を書き連ねるとは夢にも思っていなかったし、会ったこともない人と言葉を交わすとはもちろん思っていなかった。でも、それはとても面白いことだなあと思っていて、なんだかよくわからないけど本当に不思議でおもしろい。大学に残って研究者になるのだと思っていたらそれも違ったし、まったく将来の予想とか当たらなくっていい加減にしてほしい。それでもなんとか一日一日をこなしていることも不思議だ。

それにしても毎日は不安だ。知識も足りないし、技術も足りないし、経験も足りないし、分からないことだらけで不安だ。いつになったら満ち足りて不安はなくなるのだろう。5年後なのか、10年後なのか。


夕方になると家家の間を吹き抜ける風が肌の表面を触って気持ちがいいから松涛を通り抜けて渋谷まで徒歩で歩いている。渋谷は若い人たちの活気であふれかえっていて、雑音で満たされている。彼らが何に惹かれてそこに集まるのかは分からないけれど、今日も西の空に見える夕焼けはとてもきれいだった。そうした瞬間を見られるだけで、少しは心が満たされる。少しずつ満たすしかないのだろう。


Polaris - 深呼吸

Polaris - 季節