それはただの気分さ


雨の強く降る日には思索に耽りながら日記を書いてみるのもいいでしょう。窓を叩く雨と風に急かされて、パソコンを前にして期限が迫っている原稿を書くのもいいかもしれません。

秋の気配とともに訪れた台風の目に睨まれながら、大学の中にあるカフェで一人カフェオレでも飲みながら、日々のことを思い返しています。


短かった夏の思い出はすっかり心の中にしまい込まれ、洋服箪笥から長袖のシャツを取り出しては皺をひょいと伸ばしてみる。短い袖ゆえに危うかった両腕が暖かな布に包み込まれて、妙な安心感が得られる。誰だって誰かや何かに守ってもらわなきゃ、しんどい。

昨日読んでいた漫画で、こんな台詞があった。

「あなたが”誰か”に頼ってくれなくちゃ、その”誰か”はあなたに頼れないんだよ」

2年前の自分が読んでもきっと何も分からなかっただろう台詞だな、と強く感じて危うくレコード屋に平積みにしてあったぴかぴかの紙の束の商品価値を落としてしまいそうになった。頼ることの弱さを受け入れることが難しい人にとってはとても難しいことに違いないのだけれど、一人でできることなんて本当に僅かであることに気付いたら、それを受け入れてみることも正しい選択であると思う。人に心を許して裏切られることもあるとは思うけれど、結果は結果。学ぶことがあればそれでokなんだと思う。

ちょっと水を飲んでひと息。

こんな日は自宅で窓の外の雨を眺めながらぼんやり詩集片手に紅茶でも飲みたいなあ、なんてことを今考えている。学部生のときは雨の日は図書館で適当に選んだ本を読んで過ごしていたっけ。いつからこんなに「やらなきゃいけないこと」が増えたんだろう。大人って不思議。

そんなこと考えてたら、誰かが誰かのことを想うのってどれくらい可能なのかな、なんて問いを今思いついた。分かってもらいたい人に分かってもらえないときの辛さはよく分かっているつもりだけれど、やっぱり話さなきゃ分かんない。「あなただったら分かってくれると思っていたのに」という期待は結局相手を傷つけることになる。自分はどれだけ人を傷つけてきたことか。そして傷つけられたことか。考えただけでうんざりもするけれど、失敗をしなければ学ぶことなんて出来ないから、仕方がない。やっぱり、話さなきゃ、分かんないよなあ。

日常はとても忙しくて、誰かのことを想う時間なんてない、って思ってしまう。頭の中はタスクの山で、夜も眠れないかもしれない。でも、そんなのっていいのかな、と最近は思ってきている。本当は自分が大切にしたいものに向き合うことから逃げているのかもなあ。向き合うのってしんどいから。人って自分が思っているようには動いてくれないから、相手のことを想いすぎるとしんどくなるしね。だからといってモノのように扱うわけにもいかないし。そういう扱いうけたら辛いということは頭では分かっている。好意ってなかなか伝わらないけれど悪意は簡単に伝わるし。

そうそう、こういうのって大学院に入って研究室に所属して、大学の外で仕事をして、という過程で考えるようになったことなんだけど、研究も仕事も進まなくって、その原因を考えているときに考えたことなんだよなあ。人と何かをするのってすごく難しい。信頼とかってすぐに崩れちゃうし。一度信頼を失うと本当に回復できなくって辛い。あとで「自分が間違っていた」って認めても後の祭だから。

やらなきゃいけないこと。

一つは、生活をシンプルにすること。あれもこれもってすぐになっちゃうから、自分で何が大切なのかしっかり見据えておかなきゃ、いろんなものを失う。失ってしまったら取り戻すのは難しいし、どうやら全部が全部は得られそうにない。この歳で手元に何も残っていない、って結構悲しいことである気がしている。賭け事ばかりしていたら、手元に何もなくなった。空っぽな心を満たすために仕事や勉強に打ち込むのはそろそろやめないと、もちそうにない。しんどい。知識がどれだけ増えても何も手に入らないらしい。知的好奇心を飼い馴らさなければ。


そんな感じのことをカウンセラーの先生と話した後にあまり考えもせずにカフェで書いた。自分のために書き残しておかないと忘れてしまうから、ここに残しておく。ここくらいしか書き残しておく場所はないし。


帰宅したけれど、雨止んじゃった。青空の下でのんびりしたいな。でものんびりしてたらまた焦り始めるんだろうな。

旅に出ようと思っていたのに行きそびれた。いつもこうだ。いつになったらいろいろあれこれは始まるのか。新しい居場所を探さなくちゃいけない。背中を押してもらっているのだから。