no title


しばらく少しの間だけ日記を書く。整理して次のステップへ踏みだすため。研究日誌を書いているので、それを見ながら書き起こす。


音楽は、Lisandro Aristimuno の "Las Cronicas del Viento"を聴いているけれど、本当に素晴らしい。アルバムとしての物語性、アルゼンチンの民族的音楽とエレクトロニカの融合。


8日、月曜日。午前中と午後に一コマ、勤務。ちょっと手が進まず、困っている。先生が出国する前にメールを送らなければいけないのだけれど、書けず。今後どうしたいのか、自分でも分からないらしい。こういうときに決断力のなさが効いてくる。自信がないのか。今後の研究にも使えそうな本をとりあえずコピー。今のうちに読んでおきたい本を図書館で借りて片っ端から読み始めたが、集中できない。面白そうな論文を発見して喜ぶも、やはり集中して読めず。ため息をつきながら渋谷を歩く。どっちに行きたいのか、さっぱり分からない。


9日、火曜日。朝から仕事。午後、作業を始めるも捗らず。カウンセリングに行き、黙々と話す。いつかどこかで知的好奇心に殺されそうです、と深刻な目で話すものだから、初対面の先生は戸惑っていたが、なんとかしてくれるだろう。まあ、本当は殺されるほど深刻ではまったくもってないのだけれど、色々なものが破綻する程度には影響が大きい。考えすぎだ、と言われ、分かっています、と答えたり。それだけ自分のことが分かってるのに…、という言葉を遮るように、笑顔で「無理なんです」と対応。17:00からシネクイントで『(500)日のサマー』を観る。書きたいことはたくさんあるのだけれど、とにかく、サマーの気持ちがよく分かる、ということ。タイミングがすべて、偶然が連なるだけ。ちょっとしたすれ違いがまったく違う結果を生じさせる、というのはまさにButterfly Effectだけれど、本当にそうだと思う。今まで生きてきた中で確かだなと感じていること。運命はない、というナレーションの後に訪れる小さな希望。今に繋がっていることは、すべて偶然ばかり。たまたま履修しようとした授業が履修できずに、じゃあ、と思って出た授業で会った先生と今でもつながりがあること。どうやらまともな道のないところに迷い込んでしまったらしい、ということ。楽しむほどの余裕はないけれど、案外何とかできるだろう、と思っていること。


「いつか」は永遠に来ないか、あるいは既にここに来ているか、だと思う。考えていても答は出そうにないから誰も考えないのかもしれないけれど、そもそも答のある問題は誰か賢い人が答を見つけてくれるだろうから、自分が答を出す必要もないかもしれない。なんて、十代の頃からこんなどうしようもないことばかり考えているからちゃんと生きていけないのだろう。ちゃんと生きるって、どういうことか分からないのだけど。うまく生きそびれた。