no title


研究日報を書くのをサボっているので全然思い出せない。きちんと書かないと。本当に。



聴いている音楽は、toeのグッドバイ。



13日、土曜日。新宿で先日から読み始めた二冊(丸山薫ボードレール)を読了し、R.Floridaの新刊もまた少しのぞいてみた。統計解析の使い方を注意深く眺めたり。その間、窓の外をちらつく雪とヨドバシカメラの赤く光るネオンをぼんやり眺めながら、東京で暮らすことについて考えていた。中国語だか英語だか分からない言葉を話す夫婦を観察。海外に住んでみるのもいいかもなあ、と思う。遠い先の話だろうけれど。とりあえず東京で生き延びないといけない。



14日、日曜日。午後から大学の博物館でやっている「命の認識」展へ。動物や人の骨、剥製を眺めてまわる。鑑賞後、上野まで歩いてみるか、と歩いて不忍池へ。鴨をぼんやり眺めながらぶらぶら。上野駅のまわりを歩いて浅草の方まで足をのばそうかと思ったけれど、やめて、上野公園を横断して谷中の方へ。不思議(はてな)へ行きたかったのだけれど、見つけられず。ブーザンゴに行って古本を眺めてみるも、ピンとくるものはなし。途中木造の家々のあいだをくぐり抜けていたら夕ご飯のいい匂いがして、昔住んでいた家を思い出した。家の外にまで広がる料理の匂いにつられて勢いよくドアをあけて、ただいま、と叫んでいた頃。小さなバスが走っていたのも印象深かったし、また行ってみたい。レトロで素敵なお店がたくさんあった。これがざらざらな世界なのだろうか。帰りは千代田線に乗って千駄木から表参道で乗り換えて渋谷へ。どうしたって表参道や渋谷は落ち着く。人がたくさんいて、うるさくて。何があるというわけでもないのに人がいる。行けば何か新しいものが見つかる。僕が見ている東京は、とりあえず今はそういうものなのだろう。少しずつ見えなかった世界を探してみることはとてもおもしろくて、ちょっとわくわくしている。



15日、月曜日。朝目が覚めると、雨。寒くて布団から出たくないなあと思いつつも仕事へ向かう。とりたててやることもなく(ないような気がするだけだが)、書類を書いていた。お金に関わる書類は何が書いてあるのかさっぱり分からないので、いつかどこかで勉強しなければいけない。そのうち騙されるのではないか、などと思ってみるが、騙したところで大したお金はないので騙され役には不適当だろう。大学で、『梁塵秘抄』を借りてつまみ読み。他にも古井由吉の『詩への小路』、ヤリタミサコの『ビートとアートとエトセトラ』を借りてみる。詩や短歌への興味が尽きない。カミングズの詩をひとり朗読しながらその音の響きにうっとり。言葉の視覚的な効果と聴覚的な効果に関心がある。昔デリダの『シボレート』に関する話を聴いてツェランの作品から詩のハツオンについて考えていたことがあったのだけれど、あのような研究をやっている人たちはそのようなことを考えているのだろうか。自分の考えていること・研究との接点はどこにあるのだろう。自然科学、あるいは工学および社会科学と詩との関係。繋がりそうな糸の色は見えないけれど、なんとなくあそこら辺にあるのではないか、という気配は感じている。いい加減自然科学のお勉強をしないとまたホサれるので、Natureの記事を眺めたり。それにしても一体どこにたどり着くのか。悩んでいても仕方がないので、何とか進まなくてはいけない。もう少し明るい道を歩きたいのだけれど、難しい。



ようやく外向きの気持ちになってきた。内向きの状態のときに出てくる言葉をあとで眺めると、実に内向きなので困る。自分でも誰に向けて話しているのかわからなくて、記号等の無理やりな装飾を施すので、これは誰だろう、と思ったりもするのだけれど、それが精一杯なのだから仕方がない。何故なのか分からないけれど、頭の中の言葉を書き出して、音にすると自分の書いていることの手触り(?)のようなものがようやく持てるようになる気がする。無意味な記号の羅列に意味(のような何か生々しいもの)を与える作業なのだろうか。数学のような無機質な世界を好んできた人間としてはとても面白い。面白いけれど、(若干)苦しい。冷たくてつるつるした世界から抜け出すのは、簡単ではなさそうだ。



toe - グッドバイ