交叉密度

白銀色の雲が端から端までのっぺり眼前に拡がる空、月曜日の朝。緑の横縞の入った京王線の列車に乗り込む人々の憂鬱そうな顔に少しだけ冬の空気。吐き出す息の白さでいつものように確認。車体の存在も指先で確かめてみる。


あっという間に3月になってしまった。どうやら何も目標なく生きているとあっという間に時間が経ってしまうようだ。何かに夢中になることが、長生きの秘訣らしい。



月曜日の渋谷はなぜだか好きだ。閑散としていて。東京の大学を受験するために少しの間住んでいたマンスリーマンションは渋谷の道玄坂を登ったところにあって、ときどきそのマンションの横を通ることがある。7年も前のことなんて、遠い昔の記録のようで、記憶の片隅に居座っているのだから不思議なものだ。

あの頃もいい加減どうしようもなかったけれど、今でも十分にどうしようもない。これからもどうしようもないのだろうか。どうしたってどうしようもないのだけれど。街行く人々の機嫌を伺いながらブンカムラの横を黄色いタクシーの動きと平行して歩く。ブックファーストの跡地に建てられたH&Mから漏れてくる華やかな光、音楽。ドンキホーテのテーマソング。混じり合って、混ざり合わさって、渋谷の文化が生まれては消えてゆく。交叉点ですれ違う人々の視線、時間。混じり合っては消えてゆく。100年後の人々は何もなかったかのように平然とその場所を通りすぎてゆくのだろうか。


最近は、近代文学ばかり読んでいる。といっても、近代というのがどのあたりを指すのか分からないのだけれど。高見順堀辰雄高村光太郎、etc、いーてぃーしー、エトセトラ。小学生のときに読んでいた評論文に出てきた名前の数々。中学生や高校生のときにはさっぱり理解できなかった作品も、今ならそれなりに理解できる。少しは成長したということでokだろうか。ナイーヴな感性を失ってしまったことは少し残念な気もするけれど、それはそれで仕方のないことなのだろう。傷のないものには、大して価値を感じ得ない。傷だらけでぼろぼろになるのはやっぱり嫌だけれど。


いろいろな人の背中を押している場合ではない。自分自信の背中は自分では押せないし、自分の脚を使うほかないらしい。


立ち留まっていないで、聲の聴こえるほうへ向かってみるか。魔術の本など真剣に読んでいる場合ではない、本当に。


bonobos - Gold

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