100420

 ぐずぐずした天気がまるで自分の心持ちのよう。父親から受け取った受信メールには「雪が降ったり天気が悪いけれど、お前の気持ちもぐずぐずしているんじゃないのか?」と書かれていた。ここ2、3年で不思議と父との距離が縮まった。バラバラだった家族も最近でまれにだが全員で顔を合わせることもある。昔だったらこんなにタイミングよく自分の気持ちを言い当てるような言葉は届かなかっただろう。家族だからといってもお互いがお互いのことをよく知っているわけではない。少しずつ話さないと駄目なのだ。

 気づけば四月も後半。先週土曜日の会議で少しだけ安心してしまって、全然予定どおりに作業は進まない。どうしたって苦手な部分で躓いてしまう。

 今日はコンビニにパスタを買いに出かけたらば床が雨水でつるつると滑りやすくなっており、危うく転んでしまいそうになった。そうしてようやく「コンビニに濡れた傘を持ち込んではいけない」ということの理由が理解できた。そういえばデパートでは「雨のため大変床が滑りやすくなっております」というアナウンスをよく耳にする。結局人なんて自分の世界しか見ていなくて、誰かのことを考えるためには、その人のあれやこれやを経験しなくてはいけないのだろう。あの人のあれやこれや、どうやったら考えられるのかねえ、新宿西口ヨドバシカメラのネオンは今日もぼんやりと赤く光っている。

 そういえば先日めずらしく晴れた日に近所の公園の大きな石の上にお尻を休ませて、自宅でつくったお茶の入ったペットボトルを片手に、Yさんにいただいた『考える人』を読んでいると、雑誌の上に影が映り込み、何かな、と顔を上げると小さな男の子が立っていた。「喉が乾きました」と男の子が言うので、かわいいな、と思いながら「あげるよ、これ、はい」とペットボトルを手渡すと、子供ながらに気を使ったのか、二口くらいごくごくと口に含み、ごくり、と美味しそうな音をたてて「ありがとうございました」とブランコの方へと駆けていったのだった。僕のように詰まらない大人に成らなければいいけれど、なんてオジサンみたいなことを考え始めたので、いかんいかん、と雑誌の方へ目を向けると、聖書の言葉がいくつも書かれていて、ずいぶんと素敵な言葉ばかりで、岩波文庫新約聖書を立ち読みしてみたのだけれど、字が小さくて挫けてしまった。

 マクドナルドでは人々が争いを始めている。貧乏ゆすりをしながら怒鳴っている男の人の声は虚しく響き、退屈そうに煙草の煙をふかすサラリーマンが隣に座った。20歳くらいの茶髪の女の子はカレシのことを無邪気に楽しそうに話し、大学の新入生らしき男の子たちはバイトと旅行の話で盛り上がる。「心配ないわ、私が探すから」と書かれた張り紙が窓の外からマクドナルドの中の僕達に向かって話しかけてきており、探されない不安に怯えている人々を安心させようとしている。彼らが最後に探しあてるものは、一体何なのだろうか。探し物は何ですか、と唄っていた歌手は、そういえば都会の若者の自殺を嘆いていた。不思議と大切なときに僕は、傘を持っている。