no title


大体いつもそうなのだけれど、今日も懲りずに白紙、ではなくて白画面のgeditというエディタに向かって何か書いてみる。


新宿の黒く汚れたコンクリの道路の上を歩く人にはみな等しく分けられた時間が与えられていて、各々自分の仕事に忙しい。スーツ姿のサラリーマン、制服を着たウェイトレス、手をつないで歩く男女、彼らがどのような日々の生活を送っているのかは知らないけれど偶然擦れ違ったその偶然に感謝しようじゃないか、とか心の中で少し思わないでもないが、擦れ違ってきた人の数を思えばそれも小さな祈りのようなもので、数日間の時間の流れで霧散していく。人はきっと出会うべくして出会い、わかれるべくしてわかれるのだろう。知ったかぶってそんなことを書いてみるけれど、本当はまだよく分からない。長く続く関係というのは本当に不思議だ。例えば家族。


世間はもうすぐGWで、昨年のGWは仕事をし続けていた記憶があるのだけれど、今年は実家に帰省することにした。そういえば5、6年くらい前のGWは何をしていただろう、と思い返してみると、たしか、相も変わらず文章を書いていて、サークルとやらの団体がバスに乗ってどこかへ行く風景を横に、パソコン画面に向かって文章を書き連ねていた記憶がある。近所のお弁当屋さんで買ったお弁当をもごもぐと頬張りながら、先のことなんて何も考えずに、実家から離れて得られた「自由」を謳歌していたところだった。


気づけば20代も後半戦になっていて、結局何をしてきたのだろうか、と思い返してみるが、特に何もない。大学を無事卒業したり、大学院をなんとか修了したり。あれだけくだらないと思っていたお勉強も、学問の奥深さに触れることで躍起になって学び、大学院生になって研究の難しさに打ちのめされ、今度は社会とやらとたたかうはめになった。いや、本当はたたかってはいなくて、単にコミュニケーションをはかろうとしているだけで、きっと20代の人たちは同じような悩みを持ちながら前に進んでいるのだと思う。たぶん、だけど。少なくとも自分はたたかうつもりはない。


結局、普通に生きていければそれで全然okなのではないか、と思う日々で、帰省して訊いておかなければいけないのは、両親や家族がどのような生活を求めているのか、ということで、両親も若くないし、期待していた兄も何をしているのかよく分からないし、自由気儘に生きられる時間はどうやら終わってしまったようで、にも関わらず自由に生きているので、ここらで一つ自由に制限を設けなければいけない、と思いたち故郷へと帰る手配をとっているわけで、そう、祖父母も両親ももう若くない。幸い父親は大変頑丈な身体を持っているようなのでなんとかなっているけれど、何かと弱々しい自分には同じような働きはできないわけで。


税金、保険、ほにゃにゃら法、等々の聞きなれない言葉の連なった本を前に、ため息もつきたくなるが、どんな進路をとったところで同じような問題には突き当たったに違いなく、すっかり覚悟を決めて粛々と学び続けている。何でもかんでも出来るわけじゃないのだけれど、と心の中で何度も呟いているけれど、やっぱり粛々と勉強をしてやってみるわけで、本当に大人というのは大変だ。会社帰りに居酒屋で酔っ払いたくなる気持ちもよく分かるが、刺激物に弱いものだから、相変わらずビールもろくに飲めないし、タバコはすっかりやめてしまった。


なんだか愚痴っぽくなってしまったので、そろそろ終わりにする。大人になりましょうね、なりたいところですね。明日でまた一つ歳を取る。相変わらずずいぶんと曲がりくねった道を進んでいる。曲がりきれずに谷底に落ちることは避けたい。さほど速度は出してはいないので、きっと大丈夫だろうけれど。


100426 私宛