最近読んだ本の一部


ムッシュー・テスト  ポール・ヴァレリー

どんな話なのかは知っていたけれど、読んでいなかったので。テスト氏の「分からなさ」に人々が魅了される話なのだけれど、あまり好きではなかった。分かりにくいことが面白い、偉い、という考え方を放棄したからだと思う。難しそうな言葉や概念操作を行う人たちの言説には飽きてしまった。雰囲気に騙されない卓越した思考力をもちたい。


私人  ヨシフ・ブロツキー

ノーベル文学賞をとったときのブロツキーの講演。どうにもロシアや東欧の文学や詩は政治の臭いがして苦手。今読んでいるボフミル・フラバル*1チェコの作家だけれど、プラハの春や東欧の歴史をほとんど知らないので理解が追いつかなくてちょっと辛い。ロシアや東欧といえば、ナボコフドストエフスキーもすらすらとは読めない。なぜだろう。



愛あるところに神あり  トルストイ

一方でトルストイは政治の臭いがしなくて好感がもてる。ただし、宗教色が強いので苦手な人は苦手かも。なんとかしてアンナ・カレーニナを読みたいのだけれど、いかんせん長い。



赤と黒  スタンダール

ようやく読了。傑作。途中の社交界の部分は政治批判なのだろうけれど、フランスの政治や歴史をあまり知らないのでその皮肉がさほど分からなかった。でも、傑作。世界文学全集に入るのも納得の作品。主人公の貧しい家の出ながらも持ち合わせている教養の深さにはいろいろ考えさせられる。聖書を暗誦したり、ウェルギリウスの詩を暗誦したり。インターネットがある今となれば、脳をgoogleに接続させればいいわけで、教養の意味自体が変わってきているのだろう、とか考えたりしていた。



ヒッポイリュトス  エウリーピデース

一方でギリシアは素晴らしい。政治に関しても恋愛に関してもとりあえず全部神が決めてしまうから。人智の及ばない領域についての認識は重要だと感じる今日この頃。それは、諦め、ではなくて。プラトンアリストテレスマルクスアウレーリウス、あたりもつらつら読んでみると、抜群に面白い。この時代は哲学と文学(さらにいえば科学さえも)に境目がないところが特に面白い。



職業としての学問  マックス・ウェーバー

学問の道を志す人にはぜひとも読んでもらいたい一冊。修士課程の間ずっと考えていた「学者という職業とは?」という疑問に対する答えがたかだか数十頁で書かれていた。研究者や学者への道は昔も今も大して変わっていない。




いい加減、自然科学やコンピュータの本が読みたい。公共図書館にはあまりいい本が揃ってないので、困る。日本で科学が市民権を得られない理由はこういうところにもあるような気がする。


老人はみな人生に飽きて死んでいく、というような一節をどこかで見かけた。実際はどうなのだろう。若い人とばかり付き合っていてはいけない。


なんだか内省モードになってしまった。

*1:フラバルは、池澤夏樹監修の世界文学全集に『私は英国王に給仕した』が入る予定で、チェコヌーヴェルヴァーグの一人であるイジー・メンツェルがその作品を映画化している