no title


広島に帰って一週間経った。細い心を携えて向かった故郷の日々はそれほど楽しいわけでもなく、楽しくないわけでもなく。良い意味でも悪い意味でもなく、しばらくは帰る必要はないのだということを感じた。帰る場所は逆向きで、そろそろ東京へ向かって帰る。何があるというわけでもないにも関わらず、ただ人が溢れ、動いて、止まって。あの東京。


ふらりと電車に乗って出かけた宮島で、以前から登ってみたかった山に登ってみた。適当な場所から適当な気持ちで登り始めたら、誰もその道を登る人は見当たらなくて、降りてくる人ばかりで。どうやら通常とは逆のコースをとってしまったらしく、心の中で、いつも人とは逆の道を辿って苦労するな、なんてつぶやきながら、たくさんのことを考えていた。これから先の何年間かのことを主に。あれもやりたいなあ、これもやりたいなあ、と溢れる無謀なアイデアと、それにしてもキツいな、といういつまでも終わりそうにない急な登りの階段。途中ですれ違った観光客の二人組に、「まだまだこれから長いですよ」と言われたときには、もう汗が止まらなくて、足ががくがく震えていて、このまま引き返そうか、と何度も考えて。

どうにもあるときから自分の心根はうまく適切な場所には固持されていないようで、それは恐らくはうまくいかないときのための準備が出来ていないからで。準備をしている間に物事は次から次へと変化してゆき、大抵は取り残される。それは人の心も同じだし、人の行うことはだいたい同じ。

結局、もう無理だ、と何度も挫けそうになりながらも、1時間半程で頂上に辿り着き、瀬戸内海の、ぼんやりとしたかすんだ海の上を、同じくぼんやりと遠目に島々を眺めながら、やればできるじゃん、と一人ごちて、足早に海の方へ向かって降りて行った。


島に着いたときに満ちていた潮は厳島神社まで降りてきたときには干き潮になっており、ちょうど中国山地の山の端に太陽が沈んで行くときに、鳥居の下を潜り抜た。わかめを踏みしめて水際まで足を向けると、潮のかおりと船船の鳴らす汽笛がちょうどよい具合に混じり合い、案外この町に生まれたことも悪いことではないな、と思うようになった。


宮島口から乗った電車で前の座席に座った家族四人は、父親と母親、それに兄と妹という四人構成の家族で、妹らしき女の子と兄らしき男の子、それに加えて父親が仲良くじゃれあってデジカメをいじって遊んでいるところを、気づいたら始終ジッと凝視してしまい、気づいたときには最寄り駅に着いていた。


駅から自宅までの道はいつものとおりだった。何度もああでもないこうでもないと悩みながらその道を歩いていたのはもう十年近くも前のことで、相変わらずああでもないこうでもないという自分はまったくあの頃と変わっていないのだなあ、と少し残念なような気持ちになったけれど、まあいいか、と開き直って、動いていない歩く歩道を、とぼとぼと歩いて帰ったら、兄と母が晩ご飯を食べているところだった。