no title


人と話してみると思ってもみなかったことを自分が考えていることに驚く。その一方で、そのことについて内省を重ねることはもう十分にやったので、現状をじっと見つめて手を動かす。そういうことが出来るようになったから、たぶん、なんとかやっていける。


電車を降りて自宅に着くまでの数分間、自分なりの正しさについて考えていた。それはたぶん、他人が決めるわけでも今の自分が決めるわけでもなくて、この後に続く自分が決めることなのだとおもう。よく分からないけれど、そんな気がしている。将来の自分が後悔をすることへの恐怖や将来の自分が満足していることへの希望はどうやら自分の中にはあまりなくなったらしく、目の前にあるものを一つ一つ眺めていく作業を行えば、それでいいのかもしれない。うまくいったと思うことがあればそれを繰り返してみて、うまくいかないと思ったことは少しだけ別の方法を試してみる。うまくいったときには、とびっきり喜べばいいし、うまくいかないときには、ときどき誰かに慰めてもらえばいい。


まあいいか、明日もあるのだし、という思いだけをもってベッドの上に寝転がる。ああそういえばああいうこともあったな、こういうこともあったな、という思いがいくらか巡っているうちに、でも懐かしさに囚われることもなく、期待に胸が膨らむわけでもなく、ゆっくりと眠りが近づいてくる。明日なんてない、だとか思っていた日々のことがなんだかまるで嘘のようで、少しずつ明日のことを考えている間に意識はなくなり朝日で目が覚める。しばらくの間自分が出来なかったことは、今日抱えていることを明日の自分に委ねることだったのかもしれない。期待はしていないけれど、案外うまくやってくれる。信頼してやってもいいんじゃないか、と少しだけ思い始めている。