no title


何かを書かなければいけないなあと感じながらも、何を書くものやらと書きあぐねているので、とりあえず書き始めてみる。そうして、随分と日記が書けなくなっている自分に気が付く。考えたことの一つ一つが日々の流れとともに流れ去っていく。それでよいのかよくないのか、それは今のところやっぱりよくわからないけれど、わからないままでよいことも大切にしていきたいので、しばらくはわからないままにしておこうと思う。


約1ヶ月のあいだに何があっただろうかと思い返してみると、いろいろとあったようななかったようなさまざまなことが思い出される。久々に友人達と会ったり、研究の話をしたり。本当にやりたいことをやればいいんじゃないか、どうやってやればよいのだろう、と思考の中で行ったり来たりをしていたら、ミュージシャンが亡くなっただとかプロ野球選手が亡くなっただとかいうニュースが聞こえてきて、人生というのは本当に人それぞれなのだなあ、と一回限りの人生の不思議さと不条理さに思いを馳せる。やりたいことが見つかったときには時すでに遅し、とならないようにしないといけないのだけれど、一つ一つの選択を瞬時に決定していくだけの強い意志は持ち合わせていないかもしれない。とりあえず何かになってみることの重要性については、本当にその通りだなあと思うけれど、とりあえず何かになれる人というのはやっぱり器用だよなあ、と少しだけ嫉妬してしまう。それはきっと自分にとって「何かになる」ということのハードルが高すぎるからかもしれないけれど。「何かになる」ことや「何をやっているのかという自覚」に関してはもう少しハードルを下げた方がよいのかもしれない。低いハードルをいくつも越えていくのが、やはり近道なのだろう。これまでに身につけたことの多くはそうやってきたわけだし、失敗をせずに簡単に目標についてしまったらそれはそれで味気なく思い「これは目標ではなかった」だの「これは欲しいものではなかった」と言い始めるのだとは思うけれど、しかしそうしたことを鑑みるに、本当にとても厄介な風に生まれてきてしまったようにもおもう。


今年は何だか蝉が少ない。騒がしくない夏も悪くないのだけれど、ちょっとだけ寂しい。ここ数日は梅雨のような空で、なんだか物足りない。突き抜けた青空の下でずんずんと川沿いを、街中を、公園を、歩きたいなって思うんだけど、少しだけのためらいの距離があって、それはかなうのかしら、って窓の外をぼんやりと小一時間ながめている。

とても蒸し暑い夜。





今日の一冊

穂村弘が編集してる短歌集。

とぼけた短歌ばかりでくすくす笑いながら読んだ。


今日の一曲

Jens Lekman - Cowboy Boots