明け方のような夕方。
おかげさまでここ数日熟睡はできるのだけど、元気はなく、でも元気というのは自分で出すしかないということに気づき、出稼ぎにも行かずに家に籠って本読んでます。村上春樹の長編作品で唯一まだ読んでいない『ねじまき鳥〜』を読んでいるのですが、これまた長い(でも、主人公が井戸に入ってからぐっと面白くなってきた)。ので、その間に堀江敏幸の『熊の敷石』を読み返していたら、あまりに素晴らしくて、なぜ素晴らしいのかと考えていたら、まず表紙の写真が素晴らしい。で、よくよく見るとカバー写真はエルヴェ・ギベールの撮影だとか。なんというか、運命を感じてしまったのでした。『熊の敷石』って結構暗い、っていうかかなり暗い作品で、この作品を好きになった理由は淡々と文章が重ねられるにも関わらずどこかしら重々しくて(それは至るところに重々しい何かを想起させるキーワードがちりばめられているからなのですが)、それは僕が村上春樹の小説を読んでいるときに感じていること*1と通じるからだろうと思います。
文学というのは暗くなくちゃいけない、なんてこと全く思わないのですが、小学生のころに有島武郎の『うまれいづる悩み』や山本有三の『路傍の石』、志賀直哉の『城の崎にて』や井伏鱒二の『山椒魚』を好んで読み*2、中学生で本を捨て受験勉強に走り、高校生でヘッセや開高健、井上靖*3を読んでろくに学校にも行かず落ちこぼれる(笑)という大変暗い読書遍歴を送ってきた僕はなかなかハッピーな物語が読めません。。*4余談ですが、僕の中学・高校のときからの友人で文学部に通う男がいて、彼は中学生のときにメルヴィルの『白鯨』を読み、高校生の時にヘッセを読む僕に向かって『カラマーゾフの兄弟』を読みながら「そんな本読んでちゃだめだろ?大丈夫か?」と言っていたのですが、そんな彼もいまでは村上春樹やポール・オースターを読み、ついでにベルクソンを読みながらモリエールやベケットについて語り、相変わらずドストエフスキーを読み、恋人と旅行に行った際にその子にディケンズの『クリスマス・キャロル』の話をしていたらディズニーの映画と勘違いしていて怒って帰ったという逸話を持つ男*5なのですが、就職口が見つからないにも関わらず幸せそうに自由に生きています。ので、是非とも幸せな人生送りたいのなら僕ではなく彼のような読書遍歴を送ることがお勧めされると思います。恐らく彼は今年留年ですが、まったくそんなこと気にもせずに先日も「北海道行ってさー」って言ってました。
そんな感じです(どんな感じ?)。ポストムラカミの日本文学、読んでみたいなー、と思ってます。堀江敏幸、吉田修一は読んだことあるのですが、町田康、赤坂真理、星野智幸あたりは気になりますねえ。というか、やっぱ伊坂は入れてもらえないのかな(笑)
ちょっとジュンク堂行ってこようかな。本貸し出し停止中ってのがキツイな。お金が無いってのに。