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プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

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シーソー

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今日もていねいに。

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実験でわかるインターネット (岩波ジュニア新書)

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磯江毅 グスタボ=イソエ マドリード・リアリズムの異才


そんな毎日


遠い記憶も近くの記憶も、案外簡単に思い出すことが出来る。


昔撮った写真を眺めていると、あの頃はきっと自分一人が孤独なのだと信じていたのだろうな、という気持ちになる。

昔撮ってもらった自分の写真を眺めていると、髪が長くて、なんだか頼りない。


頼りないなりに出した答えをいくつか抱えて、今日も明日もなんとかやっていく。いろんなものから逃げたり、いろんなものを追いかけたり、そんな毎日。


欠けた月を眺めて、雑踏の中を歩く。自分の考えてきたことが正しかったのだということを確認して、新たな場所を探す。かつての相方にメールを送って、前に進む姿に励まされる。将来のことを思って、少しだけ不安になる。


そんな誰もが積み重ねている日々、そんな毎日。


そんな毎日を明日も続けていく。


no title


あれよあれよという間に時間が過ぎてゆき、あらゆる物事が決まっていく。多くの物事に関して自分の力が作用することが当たり前だった世界はとうの昔に過ぎ去ってしまったらしい。「自分には何が出来るのだろう」と考えたり悩んだりする時間はもう残されてはいないのだろうか。正直なところ少しだけ不安がある、というよりはかなり不安だったりする。この感覚に慣れる日が来るのだろうか、来ないのだろうか。

不安だという感覚とは裏腹にずいぶんと消極的だった活動は徐々に積極的になり、週末は勉強会や研究会や試験で毎週埋まってしまっている。どうやってうまく休養をとればよいだろうかということをいつも思案しているが、なかなか答えが見つからない。学部生のときと同じくらいの忙しさであれば何とかなるだろうだなんて思ってはいるけれど、歳をとるにつれて如何せん責任というものがついてまわるものだから、どうしても慎重になってしまう。失敗することの恐怖というのは自分自身に対してと同時に他者に対して湧いてくる感情であるらしい。どちらか片方でも克服出来ればよいのだけれど、そんなに簡単なものではなさそうだ。

今日は麻婆豆腐を何も見ずにつくることが出来た。あれだけ苦手だった家事はずいぶんと出来るようになったし、わりと自分はやれば出来るのだな、と我ながら感心する。料理をつくったあとの後片付けもあっという間に出来てしまうし、スーツにアイロンをかけることも出来る。そういった生活の面では確かに少しずつオトナというやつになっていて、ときどきぼんやりと「オトナになったなあ」と物思いに耽ることがある。家計簿を見ながら必要なものを買ったり、学生のときには全く出来なかったので大きな成長だ。


今年の年末は結局また以前のように慌しくなるのだろう。論文を書きながら「大変だなあ」とぶつぶつ呟いていた冬のことを思い出すけれど、結局こういう生き方しかできないらしい。今年の冬もなんとか乗り越えよう。



波よせて - クラムボン

三連休


世間は三連休だけれど、なんて前置きを置くような生活からはしばらく離れてぼんやりと過ごした連休。なんとなく覚えていることをいくつか書き留めておく。


豪徳寺にて。先日お祭りをやっていたばかりなのだけれど、たまたま自転車で通りかかったら再びお祭りが。いつ行っても賑やかなのはとてもいい。サーターアンダギーを売っている屋台の前を通って、食べたい食べたいと思うもお腹いっぱい食べ過ぎの胃の状態を鑑みて自粛。道の脇にたくさんの屋台が出ていて、洋服や小物、靴やおもちゃが売られていた。小さな女の子が「あれほしいの。あれほしい」と泣き喚いていて、「オレが買ってあげるよー」とか心の中で呟いたり。そういえば幼い頃にどうしても欲しかったぬいぐるみが買ってもらえなくて(今でも覚えているのだけれど、青いラッコのぬいぐるみで、とてもかわいかったし手触りがよかった笑)母と兄に置いていかれてもまだ泣き喚いて駄々をこねたのだけれど、結局買ってもらえなかったことを思い出した。そのあと駅前のモスバーガーで焼肉ライスバーガーを食べて機嫌を直したんだっけ。あの頃みたいな泣き喚くくらい欲しいものがあまりなくなってしまったのは、幸せなことなのかどうなのか。正直少しよく分からない。


どこだか忘れたけれど、近所で。小さな男の子が父親との会話。

「お父さんのこと嫌いになった」と子供。

「なんで?」と父。

「おもちゃ買ってくれないから」と子供。

「そんなことで嫌いになるなよ」と父。

なんだかお父さんの答え方が素敵だなあ、と思って横を通りすぎた後にくすくす笑ってしまった。そうだよなあ、おもちゃ買ってあげないくらいで嫌われちゃったら困るよなあ、と妙に納得したりもして。そういえばうちの父親はわりと何でも買ってくれて、いろいろな場所に連れていってくれた。何でも、といってもそのころ欲しかったものというのは近所の本屋さんの入り口に置いてあったガチャガチャ(といって分かるだろうか?プラスチックの丸い玉に景品が入って出てくる機械のことだけれど)で、父親に100円をもらってはガンダムの消しゴムをゲットしていた。おもちゃ箱に入りきらないくらいたくさんのガンダムの消しゴムはもうないけれど、よく一人で二つのキャラクターを戦わせて遊んでいた。そういえばあの本屋さんも数年前になくなってしまった。もやもやしていた十代の思い出がつまった場所だったのだけれど。


そして今日は多摩川。特に何の目的もなく国領の駅で降りてずんずん歩いて多摩川まで。途中でお腹が空いて倒れそうになったけれど、非常食のチョコレートで空腹を耐え忍んだ。何もない団地の横を通り抜けながら、親戚の住んでいた団地を思い出したり。とても狭い部屋に4人くらいの人が住んでいて、夜になれば大人が麻雀を始めた。テレビには光ゲンジが写っていて、もしかしたらもっとも幼いときの記憶の一つかもしれない。そういえばファミコンのカセットも買ってもらったし、なんだかよく分からないけれどそこに住んでいた人たちからは色々なものを与えてもらった。今では来年高校生になる子供も家族に加わり、オジサンはいなくなってしまったけれど、結婚式で公民館に布団や毛布を持ち込んで眠ったことやバイクの後ろに乗せてもらったこと、他にもいろんなことを思い出す。

団地を抜けると少し高くなったところを自転車が走っているのが見える。その河原沿いの道のところまで登れば、ほとんど障害物のない開けた場所になり、目の前に大きな川が流れている。釣りをする人、並んで座るカップルや夫婦。上半身裸で自転車に乗っているオジサン(これはギリギリの光景だ!)。斜面に腰を下ろしてゆっくりと川の流れを眺めていただけなのだけれど、とても気持ちがよかった。遠くから流れてくるバーベキューのいい匂い。後ろで通りすぎていく人たちの笑い声。何もないけれど、何もしていないけれど、十分に満たされているよなあ、と深いことは考えずに小一時間を過ごした。

川沿いをしばらく歩けば大きな橋。近くに立っていた看板で駅の場所を確認して、とぼとぼと歩く。お腹が空いた、お腹が空いた、とぐうぐう鳴り続けるお腹に何かを入れようと思って、しばらく駅前の商店街を歩いたあとに入ったラーメン屋さんで醤油ラーメンを頼むと、「お願いね」とやさしい顔をした店主さんがラーメンを差し出してくれた。550円の何の変哲もないラーメン。でもこれがうまいんだよな、とずるずると音を立てて平らげ、店を出て帰宅した。

no title


久々にぽっかりと時間が空いたので、何やら書き始めてみる。日々を淡々とこなしながら、淡々と生きている感じ。とりあえず途中でリタイアしないことが目標の時期があってもいいじゃん、と夜な夜なひとりごちている。


1ヶ月間にあったことを振り返ってみる。カンファレンス、勉強会、セミナー、台風、下北でお酒。わりと充実した日々で、心穏やかに過ごしている。カンファレンスでは新しい出会いがあり、なるほどなるほど色々な人がいるのだなあ、と浮き足立った。勉強会は久々に参加したのだけれど、たくさんの人たちと手を動かす作業が楽しかった。台風は、驚くほど風が強くて、当日八王子にいたのだけれど、見事に帰ることが出来なくなった。電車が止まってしまって仕方がないので、中華料理屋さんでラーメンを啜りながらコンピュータプログラムを書いたり。以前の自分だったらイライラしたかもしれないという状況も難なくやりすごせて、「自然のことですから」と素知らぬ顔で台風が通りすぎるのを待った後に、十分に空いた電車に乗り込んで、がったんごっとんと揺られて帰宅した。先日は下北でお酒。以前から行ってみたかったお店に行ってみたら、とても美味しかった。ジュリーだとかアムロ*1だとか昭和な音楽に昭和なビール。二人で3000円程度という安さに再度訪れたいと思った。残念ながら水タバコのお店は満員だったけれど、先のお店で近所に住む6,70歳の夫婦と色んな話をして満足したので気持ちよく帰宅。やっぱり都会に住むのも悪くないな、と久々に感じた夜。


書き忘れてしまったけれど、あと某大学の方にセミナーに呼んでいただいたので、つらつらと話した。学部生が対象ということだったので、大学院を乗り切るハウツーについて話してみた。あとは、自分の研究の話。後者に関してはそれなりに関心をもっていただけたようで、やっぱり何とかしなければなあ、とぼんやりとは思う。勉強ばかりしていて研究をしていないので、なんだか不満というのもあるのだけれど。パンドカンパーニュを購入し(購入したお店のものは少し酸味が強すぎた!)、回鍋肉定食を食して(定食とは名ばかりでご飯の上に回鍋肉がぶっきらぼうにかけられていた!)帰宅。神楽坂はいい町だなあ、と立ち去るのがちょっと名残惜しかった。



そんなこんなで少しずつ色々な活動を広げている。人生が人生がと狼狽するような年齢はどうやら過ぎ去ってしまったようで、人生は一度きりしかないからねえ、と最近はしれっと前に進むことにしている。過去や未来に執着するのは、すっかりやめちゃったなあ。やれることをやるのが、自分にとっても周りにとってもどうやら良いことであるらしい。明日もしれっとやれることをやりますか。そんな感じのオレのオレのオレ。



人生が二度あれば - 春風亭昇太

D

*1:アムロじゃない、コムロだ。80年代のコムロだった。

今年の夏はどうだった?




「君は何年生ですか?」

「1年生」

「ひゃー、若いね。ここの学校?」

「うん」

「僕もここの学校で小学生やってたよ、20年くらい前に。夏休み?」

「そう、児童館に行ってた」

「オレも行ってたよー。卓球台はまだある?」

「あるよ」

「漫画は?」

「コロコロ」

「あの、高いところにネットで登るやつは?」

「閉まってある。小さい子が落ちるから」

「結構高いから危ないもんね」

「うん」

「学校楽しい?」

「うん」

「そっかー。楽しいよな。楽しかったよオレも。毎日遊んでた」

小学校のグラウンドでひとりぼんやりと座っていたら男の子が駆けてきて、突然棒登りを登り始めた。それを見て、「がんばれ」って声をかけていたのだけれど、「がんばるのはオレだろ」とか思って負けじと登って高いところに腰かけていたら、男の子も登ってきた。二人で海を眺めながら「高いところは気持ちがいいねえ」とかぽつぽつ会話が始まって。4時に家に帰らなきゃいけないらしくて、時間がきたら閉まっている門をよじ登って門の向こう側から笑顔で手を振って走って帰って行った。あの子の未来には何があるのかしら、とぼんやりと考えてから自転車を漕いで川に向かった。



no title


何かを書かなければいけないなあと感じながらも、何を書くものやらと書きあぐねているので、とりあえず書き始めてみる。そうして、随分と日記が書けなくなっている自分に気が付く。考えたことの一つ一つが日々の流れとともに流れ去っていく。それでよいのかよくないのか、それは今のところやっぱりよくわからないけれど、わからないままでよいことも大切にしていきたいので、しばらくはわからないままにしておこうと思う。


約1ヶ月のあいだに何があっただろうかと思い返してみると、いろいろとあったようななかったようなさまざまなことが思い出される。久々に友人達と会ったり、研究の話をしたり。本当にやりたいことをやればいいんじゃないか、どうやってやればよいのだろう、と思考の中で行ったり来たりをしていたら、ミュージシャンが亡くなっただとかプロ野球選手が亡くなっただとかいうニュースが聞こえてきて、人生というのは本当に人それぞれなのだなあ、と一回限りの人生の不思議さと不条理さに思いを馳せる。やりたいことが見つかったときには時すでに遅し、とならないようにしないといけないのだけれど、一つ一つの選択を瞬時に決定していくだけの強い意志は持ち合わせていないかもしれない。とりあえず何かになってみることの重要性については、本当にその通りだなあと思うけれど、とりあえず何かになれる人というのはやっぱり器用だよなあ、と少しだけ嫉妬してしまう。それはきっと自分にとって「何かになる」ということのハードルが高すぎるからかもしれないけれど。「何かになる」ことや「何をやっているのかという自覚」に関してはもう少しハードルを下げた方がよいのかもしれない。低いハードルをいくつも越えていくのが、やはり近道なのだろう。これまでに身につけたことの多くはそうやってきたわけだし、失敗をせずに簡単に目標についてしまったらそれはそれで味気なく思い「これは目標ではなかった」だの「これは欲しいものではなかった」と言い始めるのだとは思うけれど、しかしそうしたことを鑑みるに、本当にとても厄介な風に生まれてきてしまったようにもおもう。


今年は何だか蝉が少ない。騒がしくない夏も悪くないのだけれど、ちょっとだけ寂しい。ここ数日は梅雨のような空で、なんだか物足りない。突き抜けた青空の下でずんずんと川沿いを、街中を、公園を、歩きたいなって思うんだけど、少しだけのためらいの距離があって、それはかなうのかしら、って窓の外をぼんやりと小一時間ながめている。

とても蒸し暑い夜。





今日の一冊

穂村弘が編集してる短歌集。

とぼけた短歌ばかりでくすくす笑いながら読んだ。


今日の一曲

Jens Lekman - Cowboy Boots